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バイオリンの名産地 ークレモナー

今となってはバイオリンは世界中の多くの地域で作られていますが、16世紀に発明された時は北イタリア地方しか産地と呼べるところはありませんでした。

時代が下っていくに従って、徐々にドイツやフランスといったヨーロッパの各地へ広がって、多くの名産地が生まれました。

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18世紀までのバイオリンの産地

ということで、今回からはバイオリンの名産地と呼ばれたところを紹介していこうと思います。

まずはやはりイタリアのクレモナでしょう。

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現在はロンバルディア州クレモナ県(provincia di Cremona in regione di Lombardia)の中心にあり、ミラノから東南東約75kmに位置します。

街そのものは、ポー川近郊のために交通の要衝として紀元前4世紀のローマ帝国時代からありました。

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クレモナの町並み

アンドレア・アマティ(Andrea Amati 1505/1510 – 1577)がバイオリンを作り始め、そのであるニコロ・アマティ(Nicolò Amati 1596 – 1684)が多くの弟子を育て、その弟子の中の一人であるアントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari 1644 − 1737)が史上最高の製作家として有名です。

そして、ストラディバリの兄弟子だったアンドレア・グァルネリ(Andrea Guarneri 1626 – 1698)のであるバルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ、通称“デル・ジェズ”(Bartolomeo Giuseppe Guarneri, detto del Gesù 1698 − 1744)がいます。

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デル・ジェズは、バイオリニストのニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini 1782 – 1840)が愛用した「カノン」を作った製作家で、ストラディバリと肩を並べる製作家と言われます。

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Jean-Auguste-Dominique Ingres: The Violinist Niccolò Paganini

この辺のことは「バイオリンと16世紀頃の北イタリア」(noteにも載せています。「バイオリンとは - 16世紀頃北イタリアで考案され、」)に詳しくお話ししています。

現在を除いて、最もバイオリン製作が繁栄したのは、ニコロ・アマティからデル・ジェズあたりまでの17世紀初めから18世紀の終わり頃までです。

18世紀終わりになると、フランスやドイツなどの他の地域で作られた大量生産品に押されて行き、フランス革命から始まった貴族の没落によるパトロン(支援者)の減少や、他の地域への製作家の流出も相まって、この街でのバイオリン製作は衰退しました。

その後、ファシズム政権下でのクレモナのバイオリン製作を復興させることが国家的事業として推進され、1937年に開催されたアントニオ・ストラディバリ生誕200周年祭をきっかけにバイオリン製作学校が設立されることになりました。

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1937年のストラディヴァリ生誕200周年祭のプログラムの表紙

下の地名である「CREMONA」の両脇にはファシズムの象徴である「ファッシ」のシルエットがある

開校以降、優秀な講師陣が集まったことや多くの優秀な卒業生がこの地で開業したことで、再び世界随一のバイオリン製作地へと復興を遂げることになりました。

この辺りのことは「トリエンナーレ」の回で詳しくお話しました。

現在はバイオリン発祥の地として観光地化もされており、2012年に「クレモナの伝統的なバイオリンの製作技術」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。

この様な背景で、クレモナは現在バイオリンに関する文化財や観光施設を多く保有する街です。

2013年に開館した、博物館、コンサートホール、そして研究センターとしての機能を持つ一大施設です。

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博物館にはストラディバリはもちろんのこと、アマティ、グァルネリといった名人たちの製作した多数の銘器を収蔵している他、モダンの楽器も多数所有しており、トリエンナーレ・コンクールで優勝した楽器もありますので、オールド・モダン・コンテンポラリーと、全時代を通じた世界で最も充実したコレクションを誇っています。

また、楽器だけではなくストラディバリが使用していた工具や型、テンプレートなども収蔵していて、当時の製作風景を垣間見ることも出来ます。

コンサートホールでは収蔵楽器による演奏も聞くことが出来、研究センターでは毎年特別展に合わせた研究をしており、その研究成果を発表したり、書籍を出版しています。

ストラディバリの像

クレモナの街には各地に偉人の像が建っていますが、ストラディバリの像もあります。

まずは先程のバイオリン博物館の前庭に建っている像です。

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もう一つはその名もストラディバリ広場に建っている像です。

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大聖堂すぐ近くの街の中心にありますので、簡単に見つけられます。

そして、おそらく知らないと見つけられない石像が、市立博物館(Museo Civico)の中庭にあります。

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このように結構たくさんのストラディバリ像がクレモナの街にはあります。

これも「Antonio Stradivariの肖像③」・「Antonio Stradivariの肖像④」で詳しくお話しています。

ストラディバリの墓

クレモナの中心地には「ローマ広場」という大きな公園があります。

そこに、しれっとストラディバリの墓石のレプリカが鎮座しています。

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昔は自由に触れることが出来、知らない人が座っていたり、子供が上に乗って遊んでいたりしましたが、流石にそれはまずいと思ったのか、今は周りに鎖が張られて中に入ることが出来ないようになっています。

この公園はサン・ドメニコ教会の跡地に作られた公園で、アントニオ・ストラディバリはこのサン・ドメニコ教会のロザリオ礼拝堂にあった墓に、家族とともに葬られていました。

ところが、老朽化による教会の取り壊しの時に、遺骨などはどこへ行ったかわからなくなってしまいました。

墓石だけは残され、オリジナルは先程お話したバイオリン博物館にあります。

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バイオリン博物館に保管されているアントニオ・ストラディヴァリのオリジナルの墓石

1729年の刻印は彼が自分と家族のために墓を購入した年

ストラディバリの家

アントニオ・ストラディバリがまだ大きなお店を構える前の頃、最初の妻であるフランチェスカ・フェラボスキ(Francesca Ferraboschi)と共に住んでいた家です。

後に彼は聖ドメニコ広場(Piazza S. Domenico 現在のPiazza Roma:ローマ広場)にお店を構えるのですが、その建物は今は取り壊されてしまったので、現在残っている彼の住んでいた家はここだけです。

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ストラディバリの家:2階の壁に説明書きのプレートがはめ込んである

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ストラディバリの家:階段を上がると中庭になっている

1階はストラディバリとは関係なく、2階がストラディバリが住んでいた部屋です。

バイオリン製作学校

すでに上述しましたが、クレモナには世界でも数少ないバイオリン製作学校があります。

一般に公開されている施設ではありませんが、多くの学生が今でも通っています。

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外にも直接説明書きなどはありませんが、ストラディバリが結婚式を挙げた聖アガタ教会や、道の名前にアマティやグァルネリがついていたりします。

このように、ストラディバリ関連が中心ではありますが、バイオリン製作に関するものが街にあふれていて、普通の八百屋さんや洋服屋さんでも道に面した窓にはバイオリンや製作道具が飾ってあったりします。

この他にも、大聖堂やコムーネ宮殿、多くの教会、チッタ・ノバと呼ばれる皇帝派の建物や貴族の屋敷、ポンキエッリ劇場、市立博物館、考古学博物館、クレモナ出身の作曲家モンテベルディやポンキエッリの像など、クレモナは見どころ満載の観光都市です。

一日ではすべてを見て回ることは出来ませんから、もしクレモナに行くことがあったら、ぜひ数日滞在して音楽の街を堪能してください。