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イタリアの他の産地

イタリアのクレモナで花開いたバイオリン製作は、ニコロ・アマティが多くの弟子を育てたおかげで、18世紀の終わり頃まで栄えました。

そして、その弟子であるアントニオ・ストラディバリも多くの弟子を育てています。

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クレモナスクールの系列

神田侑晃著:ヴァイオリンの見方・選び方 基礎編 p.90, p.91 より

二人共子供に家業を継がせていますので、単に子供がいるいないの問題ではなく、この二人の楽器が人気があったために人手不足になって弟子を取らざるをえなかったからだと推測されます。

そのおかげで、クレモナで学んだ多くの製作家がほかの街にも移り住んでいます。

クレモナに近い、マントバ、ピアツェンツァ、ブレシア、ミラノなどは当然ながら、少し離れたヴェネツィアやトリノ、はてはローマやナポリにまで行っています。

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ニコロ・アマティとアントニオ・ストラディバリの弟子が移り住んだイタリアの街

赤い印はクレモナ

これは恐らくですが、クレモナには二人の偉大な製作家がいるので楽器を販売するのが難しかったのと、当時のイタリア地方は各地で有力な貴族が国を作っている時代でしたので、それら各地の貴族に召し抱えられていったからでしょう。

彼らの弟子以外にも、ボローニャやフィレンツェといった大きな街にはバイオリン製作を行う製作家がいて、直接の弟子ではなかった者もニコロ・アマティやアントニオ・ストラディバリの楽器に影響を受けています。

それぞれの地域で、そこに移り住んだ家系が数代バイオリン製作の家業を続けましたが、イタリアでは大量生産へは進まずに、貴族の没落とともにバイオリン製作が途絶えている地域が多いです。

現在はクレモナには国立の、ミラノには市立のバイオリン製作学校があります。

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ミラノの市立バイオリン製作学校の外観

クレモナはバイオリンの名産地として有名であることは以前お話しましたが、ミラノは服飾や芸術などバイオリン以外のものも多いからなのか、一般的にはバイオリンの名産地とは見られていません。

同様に、イタリアのクレモナ以外の街では、今でも製作家がバイオリンを作っている街が多いのですが、「名産地」とは見られていないのが現状です。

出展・参考文献

神田侑晃著:ヴァイオリンの見方・選び方 基礎編