サイトへ戻る

バイオリンと16世紀頃の北イタリア

クレモナがなぜバイオリン製作の中心となったのか

前回の続きです。

バイオリンは16世紀頃北イタリアで考案され、
諸説ある中でバイオリンの生みの親として必ず名前が上がる者が2人います。

アンドレア アマティ Andrea Amati 1505?-1579 Cremona
ガスパロ・ディ・ベルトロッティ Gasparo di Bertolotti(Gasparo da Salòとも)1540-1609 Brescia


 どちらも16世紀頃のクレモナ(Cremona)とブレシア(Brescia)という北イタリア地方の人物ですから、この二人がバイオリンを考案した有力候補です。
 二人はクレモナとブレシアにそれぞれバイオリン製作の道筋を作った人物です。どちらの街もミラノの東に位置し、ブレシアはクレモナから50kmほど北にあるイタリアの中でも大きな重要都市で、規模としてはクレモナよりも大きな街です。比較的近いので、当時でも情報交換はある程度あったことでしょうから、どちらかが先にバイオリンを考案したとしても、数年後にはもう一方も真似ることが出来たでしょう。そういった事情もあり、「バイオリンの考案者」という称号は、今となってはどちらとも言えなくなっています。他の人であるという説もありますし、真相は闇の中ですが、ここから発展したのだけは間違いありません。

broken image

 クレモナは現在、国立の弦楽器製作学校もあり、世界的に見ても最も製作家が活動している街です。しかし、ブレシアはクレモナとは違い現在はバイオリン製作で有名な街にはなっていません。(それでも製作家はいますよ。) 

では何がその2つの街を分ける事になったのか、そこに至るバイオリンの歴史をクレモナという街を中心に見ていきたいと思います。

 クレモナは上図を見てもらうと分かるとおり、ポー川(水色の線)流域にある町で、良質のレンガ用粘土が豊富に産出でき、古くからレンガ・テラコッタ産業が盛んになりました。(Terra Cottaはイタリア語で「焼いた土」という意味)そこで、装飾性の高いテラコッタを作るために、木枠を作る技術が発達し、高度な木工技術が発達した事が後のバイオリン製作につながったと言われています。

 そして、中世からルネッサンスにかけてアラビアより様々な楽器がヨーロッパに伝来するようになります。(残された当時の絵画から様々な楽器が使われだしたのが推察されました。)そして、その中に弓で弾く楽器があり、それらを総称して“Viola(ビオラ)”と呼ぶようになりました。その楽器は現在のビオラとは違って平らな表板で、リュートに近い形のものが多かったようです。そして、その後に膨らみとくびれのある楽器が作られるようになり、様々な“ビオラ”へと発展していきました。


Viola da braccio(ビオラ・ダ・ブラッチョ)「腕のビオラ」肩や胸に乗せて腕で弾く。
Viola da gamba(ビオラ・ダ・ガンバ)「足のビオラ」足で挟んで弾く。

 

broken image

トマス・ゲインズバラ:ドイツのビオラ・ダ・ガンバ奏者C.F.アーベルの肖像画

 1499年9月12日、クレモナはベネチア共和国の支配下に置かれました。統治の期間は10年間と短かったものの、この頃からユダヤ人の移住が盛んになりました。その中に古物商でリュート製作者であったジョバンニ・レオナルド・デ・マルティネンゴ(Giovanni Leonardo de Martinengo)がいたようです。

 アンドレア・アマティはおそらくこのマルティネンゴの弟子になっていたと推測されています。

 アンドレア・アマティは1539年に聖ファウスティーノ教区ですでに工房を開いて独立していたことが古い文献の記載でわかっています。ということは、彼がガスパロの弟子だったという推測は信憑性が低いでしょう(まだこの時にガスパロは生まれていませんし、開業した後の十数年後に自分より30歳以上年下の若者に教えを請うでしょうか?可能性が無いとは言えませんが・・・)。

 後に彼は調弦が容易で、弾きやすく、持ち運びに便利な楽器、現代でいうところのバイオリン(伊Violino→Viola+「小さな」を意味するino、つまり「小さなビオラ」)を作るようになっていきました。1560~1574年の間にフランス王シャルル9世に2種類のサイズの違うバイオリン、テノールビオラ、大型のチェロなどを複数台納めています。

 1540年、ガスパロ・ディ・ベルトロッティがブレシアから東のガルダ湖畔にある町、サロ(Salò:上図参照)で誕生しました。ガスパロ・ダ・サロという通り名は「サロ出身のガスパロ」という意味です。

(ちなみにレオナルド・ダ・ビンチは「ビンチ村出身のレオナルド」です)

 1568年にブレシアに移住、彼の家系はもともと楽器を作る家だったとも言われています。

 1577年にアンドレア・アマティが没しましたが、息子のアントニオ(Antonio:兄)とジェローラモ(Geloramo:弟)がその工房を継ぎました。

 1607年、兄のアントニオ・アマティが死去、しかしジェローラモは以後も“Antonio Amati”のラベルで楽器を作り続けています。これは当時の慣習として兄の名前が店の名前であったからだと言われています。

1609年にはガスパロ・ディ・ベルトロッティも死去。彼の技術は弟子のジョバンニ・パオロ・マッジーニ(Giovanni Paolo Maggini)に受け継がれます。

 1630年、ミラノでのペストに対する検疫を3月のカーニバルに間に合わせるために緩めたため、ペストが大流行してしまい、北イタリア地方ではその猛威から多数の死者を出しました。ブレシアのジョバンニ・パオロ・マッジーニとクレモナのジェローラモ・アマティも同年に死去した記録があります(諸説あり)。ブレシアではマッジーニの2人の弟子、アマティ家では息子のニコロ(Nicolo)が、それぞれバイオリン製作を引き継いでいます。

broken image

クレモナ・アマティ家(左)とブレシア派(右)の系列図
※大文字表記は名字で特に表記なき者は上段の家系、「W.」はWorkedの略、生年ではなく最古の楽器製作年

 ここまではそれぞれ、ペストの大流行などはあったにせよ製作技術の継承が細々と続いていました。しかし、ここからクレモナで大きく発展していくことになります。

 ここまで、アマティ家ではバイオリン製作技術は息子達に引き継がれ、他の家の者には教えていませんでした。しかし、ニコロは急に多くの弟子を育てるようになっており、その中にはアントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari)やアンドレア・グァルネリ(Andrea Guarneri:グァルネリ・デル・ジェズのお爺ちゃん)などを含めた10人以上の伝説的な名工を育てています。これは私の想像ですが、ニコロがペストの大流行を経験した者として、バイオリン製作技術を後世に残そうとしたからなのかもしれません。

 単に彼の楽器がヨーロッパで大ヒットして人手が足らなかっただけかもしれませんが・・・。

 でも、そういう意味では弟子を育てたガスパロやマッジーニのいたブレシア派ほうが発展しても良かったのですが、いかんせん彼の楽器も弟子達の楽器も、バイオリンにしては大きくてビオラに近い楽器が多く、クレモナ派に比べれば当時からあまり評価は高くありませんでした。その上、弟子の数もそれほど多くありませんでしたので、ブレシアではこの後、ガスパロの技術は途絶え、誰も彼の工法で楽器を作らなくなってしまいました。それでも、彼らの楽器は少なからずデル・ジェズなどのクレモナ派に影響を及ぼしています。(あくまで影響であって、継承ではありません)

broken image

Giovanni Paolo Maggini: Violin 1700

 マッジーニの弟子と同時期にブレシアにはジョバンニ・バッティスタ・ロジェリ(Giovanni Battista Rogeri)という名工が活動していますが、彼はクレモナのニコロ・アマティから学んだ後にブレシアに移り住んでいるので、ガスパロの技術は継承していません。

broken image

クレモナ派ニコロ・アマティ以降 系列図

 アマティ家の楽器を見ると、ただ音が良いだけでなく、細部に渡って姿形も美しく作ることを意識しているのがわかります。始祖のアンドレアからその技術は見受けられ、ニコロ以下の弟子たちも、とても美しい楽器を作っています。これはテラコッタの木枠で培われた木工技術も大きく影響を与えたのではないでしょうか。もちろん高い木工技術がアマティ家に伝わったかもしれませんが、それ以外にも木枠職人たちに「楽器を作るほうが適当な技術で作れるから楽らしいぜ」なんて言われたくありませんから、いい加減な仕事は出来なかったでしょう。事実、私がクレモナにいたときも、大工・家具職人・楽器職人などの木工に携わる中で技術の低い職人や仕事のことを、方言で「マレンゴーン」(綴はわかりませんが、たぶんMal-legno(悪い-木)みたいな感じではないかと)と冗談交じりでバカにしていましたから。

broken image

Andrea Amati: Violin (c.1559) Metropolitan Museum of Art, New York

 バイオリン製作がクレモナで発展したのは、ただ製作家が多くなっただけではなく、美しい楽器を作ることで、市場にも受け入れられた点が大きいのです。

ところで、実はまだ終わっていません。

次第に改良・発達。

 バイオリンが16世紀の北イタリアで考案され、大きく発展していくことはわかりましたが、18世紀ごろまではまだ現代のバイオリンとは違うものでした。

 ではどのように改良・発達していったのか。そこのところを次回お話しして、ひとまず「バイオリンとは」なにかといったことを終わりにしたいと思います。

参考文献
レッスンの友社 神田侑晃著 「ヴァイオリンの見方・選び方 基礎編」
(株)ショパン 楽器の辞典 「ヴァイオリン」 増強版 第2刷
Cremonabooks Andrea Mosconi著 「Gli Strumenti di Cremona Il Palazzo Comunale la Collezione di Strumenti ad Arco」
Cozio publishing 「FOUR CENTURIES OF VIOLIN MAKING  FINE INSTRUMENTS FROM THE SOTHEBY’S ARCHIVE」

A BALAFON BOOK 「THE VIOLIN BOOK」

Fondazione Antonio Stradivari 「ANDREA AMATI OPERA omnia LES VIOLONS DU ROI」

Tarisio: Cozio Archive

「Andrea Amati」

Wikipedia:

「ヴィオラ・ダ・ガンバ」

「Andrea Amati」(イタリア語)

「Gasparo da Salò」(イタリア語)

「Giovanni Paolo Maggini」(イタリア語)

「Peste del 1630」(イタリア語)