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4弦のチェロ

古楽演奏の時代考証⑥

前回までで、バロック時代はチェロの音域のビオラ・ダ・ブラッチョは2種類の楽器があったことがわかりました。

  • 縦にして床に置いて演奏する大きめのもの
  • 横にしてストラップなどで肩にかけて演奏する小さめのもの
バロック初期はこのいずれもが大体5弦であったことも前回までで明らかになりました。

しかし、バロック時代後期には4弦で縦に演奏し足に挟む楽器が主流になっています。

これは、古典派初期のイタリアのチェロ演奏家として有名な、ボッケリーニ(Ridolfo Luigi Boccherini, 1743-1805)の肖像画を見れば明らかです。

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Pompeo Batoni (1708-1787) "Ritratto di Luigi Boccherini" c.1764-c.1767

では、その楽器が確立したのはいつ頃だったのか?

ルネサンス後期からバロック初期にかけては低音を担当する擦弦楽器は様々なものが玉石混交であったことは「Violoneという低音弦楽器」の回でお話しました。

16世紀のチェロはビオローネとの区別が曖昧で、弦は3から6本のものが多く、調弦も5度や長3度のものまであり、はっきりしません。17世紀に入って4から5弦が一般化したのですが、多様な調弦方法は残ったようです。

よく見られた調弦法には、B♭-F-c-g、C-G-d-g、あるいはラ・ボルドが言及したC-G-d-a-d1があります。1600年以降はC-G-d-aも好まれ、とくに1660年代に金属巻線が導入されてからは、これが4弦の独奏楽器における標準調弦となったのです。

チェロの100年史 p.005

このような中でチェロの小型化が一般化する最も大きな要因は金属巻線でした。

これは「みんなが使っている弦」の回で

「低音弦楽器の本体が大きく、弦が太くて金属を巻いて重くしているのは、細く軽い弦で低い音域を出そうとすると、張力の弱いビロンビロンな弦になって音がちゃんと出ないためです。」

と説明したように、低い音できちんと演奏できる張力にするには、弦を重くするか弦長を長くしないといけないためです。

巻線技術のなかった時代は、重くするには弦を太くするか、金属粉を混入する方法しかありませんでした。しかし、金属粉を均一に混入するのは難しく、不均一のものは音にゆらぎが生じるのが欠点でした。また、弦を太くするにも限界があり、弦長が短いと太い弦は十分に振動せずに音色が悪くなる上、太い弦は発音が鈍く早いパッセージには向きません。

そのため楽器の弦長が長い(大きい)楽器を作らざるを得ず、弦が太く大きい楽器は伴奏用としてしか使用されませんでした。

Reference to the compositions of the period of Andrea Amati and his two sons (1540-1630) conclusively shows that no solo music was written for the violoncello

アンドレア・アマティと彼の二人の息子(1540-1630)の時代の作品を見ると、ヴィオロンチェロのための独奏曲が書かれていないことが明らかです。

Antonio Stradivari HIS LIFE & WORK (1644-1737) P.110

この様な楽器は独奏ではなく伴奏をするための楽器であり、ハイポジションを演奏することは想定されていません。その為、ファーストポジションでも高音域が演奏出来るようにするために高音弦を一本多くしているのでしょう。

No players used the register beyond the second or third position ; in all probability they confined themselves entirely to the first, hence the now all-important question of the length of string (i.e., the stop) was of little consequence. Matters remained thus until towards the close of the career of Nicolo Amati (son of Hieronymus), who died in 1684.

おそらく彼らは完全にファーストポジションに限定しており、セカンド・サードポジションを超えた音域を使う奏者はいませんでした。このような状況は、1684年に亡くなったニコロ・アマティ(ヒエロニムスの息子)の生涯の仕事が終わるまで続きました。

Antonio Stradivari HIS LIFE & WORK (1644-1737) P.111

そして、ニコロ・アマティの死後、ハイポジションを使用する独奏楽器として4弦で小型のチェロが使用されるようになります。

これは1660年代に入り、巻線によって弦を重くすることが可能となったので、発音が鋭い細く重い弦が作られ、その弦のおかげで早いパッセージが弾けるようになり、急速にチェロは独奏楽器として人気が出るようになったからです。

金属巻線の到来に刺激され、またグァルネリやストラディバリらの弦楽器製作者によって金属巻線が使われてより小さい楽器の寸法が考案され、1689年以降には「ヴィオロンチェロ」を指定した独奏作品が見られるようになったのです。

チェロの100年史 p.005

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Anton Domenico Gabbiani 1652-1726 "I musicisti del principe Ferdinando de' Medici" c.1685

左の楽器には最低音の弦だけが白い色になっており、巻線が施された弦なのがわかる

巻線が生まれたほぼ100年後の1780年に出版された「Essai sur la Musique ancienne et moderne」という本にはこのように書かれています

Infiniment qui a fuccédé à la Viole pour accompagner dans les Concerts. Il eft fait comme le Violon, excepté qu'il eft beaucoup plus gros, & fe tient entre les jambes.

Le P. Tardieu , de Tarafcon , frère d'un célèbre Maître de Chapelle de Provence 3 l'imagina, vers le commencement de ce fiecle j il le monta, de cinq cordes , ainfi accordées.(中略)

Il fit une prodigieuie fortune avec cet inftrument, dont il jouait bien. Quinze ou vingt ans après , on réduifit le Violoncelle à quatre cordes

Essai sur la musique ancienne et moderne, vol I, p.309

それは演奏会の伴奏においてヴィオールのあとを継いだ楽器である。ヴァイオリンのように作られているが、ずっと大きく、両足に挟んで保持される。

タラスコンのタルデュー神父は、プロバンス地方の有名な宮廷楽長の兄弟であったが、今世紀初頭、この楽器を考えついた。彼により5本の弦が取り付けられ・・・・・・(中略)

彼はこの楽器で巨富を手に入れたが、その演奏も非常に上手だった。15年か20年経ってから、彼は高い方のD線をはずし、ヴィオロンチェロを4弦に減らした。

(訳:チェロの100年史 p.004)

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J. B. de la Borde: Essai sur la musique ancienne et moderne, vol I, p.309

この本ではタラスコンのタルデュー神父が18世紀初頭に考え付いたと言っていますが、彼が考案者ではなく、おそらくはイタリアから来たチェロをプロバンス地域で初めて使用していたのがタルデュー神父なのでしょう。

なぜなら、イタリアでは17世紀末あたりから独奏楽器として4弦の小さなチェロをフランチェスコ・ルジェリが作り始めているからです。

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Francesco Ruggieri cello 1687: Sotheby's lot.127 Francesco Ruggieri

その後の製作家たち、彼の息子(ジョバンニ・バッティスタ)やアントニオ・ストラディバリなども独奏用楽器として現在のサイズのチェロを作りました。

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Antonio Stradivari cello 1707: the Strad July 2014 P.58/59

そしてバロック時代の終わり頃、ミシェル・コレット(Michel Corrette 1707-1795)がチェロの教本「Méthode pour apprendre le violoncelle 」を1741年に出版したあたりで、チェロといえばこのサイズのものと一般的に認知されるようになりました。

音楽家たちがチェロの性能に関心を増すにつれ、演奏面のチェレンジができるよう、演奏技法が発達しました。また演奏を通じてチェロの可能性を示そうとするプレーヤーたちの意気込みは、この楽器のソナタや協奏曲が増殖する形で1730年代に結実しました。しかし高まるチェロ人気についての決定的な証が、1741年に登場しました。(中略)ミシェル・コレットがこの年、「ヴィオロンセルを短時間で完璧に習得するための理論と実践メソッド」を出版したのです。このフランスの教則本の出現は、演奏手段としてのチェロが認識され評価される時代が到来したことを示しています。

チェロの100年史 p.006

これらからわかることは、バロック後期には弦に巻線が施された細い弦を用いた、4弦の現在使用されているサイズの楽器(もちろんネックの長さなどは違うもの)を独奏用として使用し、オーケストラなどの伴奏・合奏には大きめで5弦あるいは4弦の太い弦を張った楽器が使われたようです。

「独奏用は細い弦で、伴奏は太い弦」と言う考え方は、現代と同じ大きさの楽器しか作られなくなった、後の100年間でも続いたようで、同じ大きさの楽器でも音色によって独奏用と伴奏用を明確に区別していたようです。

しかし、これは古典派の時代ですからまた別のお話です。

さて、バロック後期のチェロの独奏曲(ソナタや協奏曲)では「ほぼ現在の楽器と同じ」ものをソリストが使っていたのですが、あの有名な独奏曲は今のチェロとは違うものを想定していたのではないかと言う研究があります。

次回はその曲について考察してみます。

出典・参考文献

ヴァレリー・ウォルデン 松田健 訳: チェロの100年史

ダニエラ・ガイダーノ 八木健二 訳: ガット弦の変遷

W. Henry Hill, Arthur F. Hill & Alfred E. Hill: Antonio Stradivari HIS LIFE & WORK (1644-1737)

J. B. de la Borde: Essai sur la musique ancienne et moderne

the Strad July 2014

Wikimedia Commons

 File:LBoccheriniFXD.jpg

 File:I musicisti del principe Ferdinando de' Medici - Gabbiani.jpg

Sotheby's lot.127 Francesco Ruggieri (Cremona, b 1620; d c1695) A cello Cremona, 1687