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バッハの持っていたチェロ

古楽演奏の時代考証⑦

バロック時代(音楽)の定義では、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685 - 1750)の死が、バロック時代の終わりとされている場合が多いです。

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Elias Gottlob Haussmann "Johann Sebastian Bach" 1748

つまり、大バッハは後期バロック時代を代表する作曲家です。

彼が作曲した名曲は数多ありますが、その中でもチェロの名曲といえば「無伴奏チェロ組曲 BWV1007~1012」でしょう。

ここでやはり気になるのがどの楽器で演奏されることを目的としたかです。

前回の考察では「バロック後期には弦に巻線が施された細い弦を用いた、4弦の現在使用されているサイズの楽器(もちろんネックの長さなどは違うもの)を独奏用として使用していた」としていました。

そしてこの楽曲は間違いなく独奏用ですから、時代的には4弦の細い弦を用いた楽器かと思いますが、様々な説があり賛否両論です。

作曲年代は明らかでないが、その大部分はケーテン時代(1717年-1723年)に作曲されたと思われる。ケーテンの宮廷オーケストラは12人の楽師で構成されており、宮廷ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者でチェリストも兼ねていた、クリスティアン・フェルディナント・アーベルのために書かれたという説がある。ヴァイオリンのように肩で支えた姿勢で弾く小型のチェロ(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)のために書かれたとする説もある。

無伴奏チェロ組曲 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

では、なぜそうなのか。

まずその根拠として、6番に5弦の楽器を指定している点が挙げられます。

この曲は自筆譜は残っていませんが、妻のアンナ・マグダレーナ(Anna Magdalena Bach, 1701 - 1760)の写譜が残っていて、その楽譜には5番と6番の冒頭にどの音で調弦するか記入されています。

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Johann Sebastian Bach : Suiten für Violoncello solo / Manuscript, Anna Magdalena Bach

5番の冒頭、スコルダトゥーラの指示があり、調弦音が記されている

※スコルダトゥーラとは、楽器本来の調弦法とは違う音に調弦することです。

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Johann Sebastian Bach : Suiten für Violoncello solo / Manuscript, Anna Magdalena Bach

6番冒頭、5弦の指示があり調弦音が記されている

これを見ると、5番はスコルダトゥーラを指示するために調弦音が記されており、6番は5弦の楽器を指示して、その調弦音が書かれています。

パブロ・カザルス(Pau Casals i Defilló, 1876 – 1973)が20世紀初頭にこの曲を再発見したころは全曲を4弦の楽器で演奏していましたが、親指を使う運指や6番の高音が続くところなどは無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータに比べるとかなり不自然な運指が必要となっていました。

確かにヴィオロンチェロ・ダ・スパッラは5弦が一般的なので、この問題は解消されます。

しかし、バロック初期から少し大きな5弦の楽器は存在していましたし、ビオロンチェロ・ピッコロと呼ばれる5弦の楽器も存在していました。

アマリリス・フレミング(Amaryllis Marie-Louise Fleming, 1925 – 1999)はアマティ兄弟が作った5弦のビオロンチェロ・ピッコロでこの楽譜の5弦の指示通りに演奏しています。

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Antonio e Girolamo Amati cello c.1600

以下の動画はまさにフレミングと同じ楽器で無伴奏チェロ組曲6番プレリュードを演奏しています。

バロック・チェロの巨匠アンナ・ビルスマも第6番はビオロンチェロ・ピッコロで演奏したものをCDに収録しています。

ただ、これだけでは5弦の低音楽器だったことはわかっても、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラだったのか、上のような楽器だったのか、はっきりとはわかりません。

バッハが作曲したライプツィヒのカンタータ全曲において、「Violoncello piccolo」という楽器が楽譜上で指定されている事も取り上げられますが、この楽器名は単純に「小さなビオロンチェロ」という意味なので、現在ビオロンチェロ・ピッコロと呼んでいるこの楽器と同じ楽器なのか、あるいはビオロンチェロ・ピッコロよりも小さいヴィオロンチェロ・ダ・スパッラのことを言っているかどうかもはっきりしません。

もう一つの根拠として、フランスの作曲家・音楽ライターであるJ.G.カストネル(Jean-Georges Kastner, 1810 - 1867)が執筆した「Traité Général D’instrumentation(楽器総論)」にビオラ・ポンポーサと呼ばれる、バイオリンと同様に構える低音楽器をバッハが発明したと書いていることが証拠として挙げられます。

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Traité Général D’instrumentation P.13付近(ページ数無し)

LA VIOLA POMPOSA
Cet instrument fut invente par le célèbre Seb. BACH.
Il était plus grand et plus haut que la viole ordinaire et pourtant on le tenait dans la même position; outre les quatre cordes de la viole, il en avait encore une cinquième accordée en Mi, et qu’on appelait aussi la quinte.

ビオラ・ポンポーサ

この楽器は有名なゼバスティアン・バッハによって発明されました。
通常のビオラよりも大きいにもかかわらず、同じ高い位置に保持され、ビオラの4弦に加えてMi(E)で調律された5弦を備えていました。

Traité Général D’instrumentation

ただ、この文章ではvioleと言っていて、violoncelloとは言っていません。そして、この本の中ではバイオリンはViolon、ビオラはViole、チェロはVioloncelloと呼んでいますので、このビオラ・ポンポーサは大きなビオラにバイオリンの1番線と同じEで調弦する弦を足した5弦の楽器であることがわかります。

なお、バッハが発明したというのは間違いではないかと言われています。

(なんか前にも似たようなことがありましたね)

現在では ビオラ+E ではなく バイオリン+C の楽器がありますよね。

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Gliga Ayasa Signature Model -5st with Fishman V-300

話が逸れました。

しかもこの本のビオラ・ポンポーサの記載から2ページ後にはこのような記述があります。

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Traité Général D’instrumentation P.15付近(ページ数無し)

VIOLA DI SPALA (viole d’épaule)
On ne trouve nulle part la manière dont on accordait cet instrument; on raconte seulement qu’il était très recherché et qu’on s’en servait fort souvent pour accompagner, à cause de son ton perçant.
On le suspendait avec un ruban à l’épaule droite, ce qui lui a fait donner son nom. Il est à présumer que la viola di spala était à peu près notre violoncelle actuel, car on trouve encore des musiciens de village qui suspendent le violoncelle à l’épaule droite avec une courroie, tandis que nos artistes le tiennent entre les genoux.

ヴィオラ・ディ・スパラ(肩のビオラ)

この楽器がどのように調律されていたかは記録されておらず、ただ、その突き抜けるような音色のために人気があり、伴奏によく使われていたと言われています。
右肩にリボンをつけて吊るされていたので、名前の由来になっています。今でも村の音楽家がチェロを右肩からストラップで吊るしているのに対し、私たちの芸術家は膝の間にチェロを挟んでいます。

Traité Général D’instrumentation

この記述は間違いなくヴィオロンチェロ・ダ・スパッラのことを言っているように思えます。

ということは、ビオラ・ポンポーサとヴィオロンチェロ・ダ・スパッラはまったくの別の楽器でしょうか?

しかし、ちょっと待って下さい。

もう一度「肩に担ぐチェロ」の回で紹介したヤン・ブリューゲルの絵を見てください。

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Jan Bruegel (I) (1568-1625) "Boda campestre" の一部

そして、現在ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラと言われている楽器を見てください。

明らかにヤンが描いたものは大きいですよね。

このViola di spalaの記述で書かれた楽器は、今のチェロと同じ大きさか少し小さい楽器を肩から下げて演奏していた様子を伝えているのではないでしょうか。

ビオラ・ポンポーサは「ビオラの大きいもの」と呼んでいたのでアルトの音域かと思ってしまいますが、あの記述には「Mi」(E)としか書かれていません。そして、ビオラとチェロは1オクターブ違う「A D G C」で調弦します。

また、当時はガット弦しか使われていませんでしたから、ビオラよりも大きな楽器にした上で更にアルトより高音の弦を張ろうとしても、その張力に耐えることのできる弦を作ることは当時の技術では難しかったはずです。

ということは、実はバッハが持っていたビオラ・ポンポーサの音域はアルトではなくビオラの1オクターブ下(E A D G C)に調弦したバス音域の楽器だったのかもしれません。

その証拠に、同時代の他の楽譜でヘ音記号の「Viola di pomposa」用の楽譜が存在します。

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Johann Gottlieb Graun (1703 - 1771) : Quartet in D major / Manuscript, August Kohn ca.1755-62

Viola di Pomposaと書かれた上にViola da Gambaと修正されている

であるなら、この楽器でも無伴奏チェロ組曲を演奏出来る上、以下の根拠にも繋がってくることになります。

バッハはオルガニストとして有名でしたが、実は18歳の時にヴァイマールの宮廷楽団にバイオリン担当として就職しているほどにバイオリン演奏の技術を持っています。

また、息子のカール・フィリップ・エマニュエル(Carl Philipp Emanuel Bach 1714 - 1788)は1774年にヨハン・ニコラウス・フォルケル(Johann Nikolaus Forkel 1749 - 1818)に宛てた手紙の中で、「父は通常バイオリンでオーケストラを指揮していて、ビオラの演奏を好んでいた」と書いています。

何が言いたいかというと、無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ、無伴奏チェロ組曲は誰かのために作曲したのではなく、自分のために作曲したのではないかと言うことです。

なぜならバロック時代の音楽家にとっては、まず自分のために作曲し自分で演奏するのが当たり前だったからです。

じゃあ、なせそれがヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで演奏した根拠となるのか。

バイオリン(ビオラ)と、縦にして弾く現代のチェロは弦長が違いすぎるために左手の運指が違うので、もしバイオリン奏者がチェロを弾くためには、慣れない運指で弾く必要があります。

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左側がバイオリン、右側がチェロの運指

バイオリンの方が押さえられる音の範囲が全音程度広いのがわかる

その上で、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラはバイオリン・ビオラと同じ運指で演奏できるので、バイオリン奏者は違和感なく楽器を変更できるのです。

もちろん現代のチェロとバイオリンのどちらも演奏できる方もいらっしゃいますから根拠としては薄いですが、そういった見方もあるということです。

さて、ここまで見てくると無伴奏チェロ組曲はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで演奏するのがバッハの意図したものだったと言えるのではないかと思えてしまいます。

しかし、私は必ずしもそうではなかったのではないかと思います。

バッハの生きていた時代ではすでに独奏用のチェロといえば4弦の巻線を使った楽器が主流だったと思いますし、その新しい楽器を演奏できる同僚もいたはずです。例えばワイマールでは、ヴィルトゥオーゾのバイオリニストでありチェリストでもあるグレゴール・クリストフ・アイレンシュタイン(Gregor Christoph Eylenstein, 1682-1749)がいたようです。

それに、5番でスコルダトゥーラの指示があるということは、1~4番は4弦でA D G Cの調弦を前提としているはずです。

そんな中で、この曲をヴィオロンチェロ・ダ・スパッラに限定して演奏させるということはしていなかったのではないでしょうか。

自分で演奏する時はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで、他の人が演奏する時はその楽器にはこだわらないと考えるのが自然で、実際にそうだったと私は考えます。

なんだよ、じゃあ今までの時代考証は何だったんだよ!

と思われるかもしれませんが、バロックという時代は現代のようにクラシックの楽器がはっきりと決まっていたわけではない時代だったこともわかったはずです。

次回、まとめとしてその辺りのことをお話したいと思います。

出典・参考文献

5弦チェロの歴史と将来

Wikipedia

 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

 無伴奏チェロ組曲

 Suiten für Violoncello solo (Bach)(ドイツ語)

Wikimedia commons

 Category:String fingering

Johann Sebastian Bach : Suiten für Violoncello solo / Manuscript, Anna Magdalena Bach ca.1727-31

Kastner, Jean-Georges, Traité général d’Instrumentation, 1837

クロサワバイオリン / Gliga Ayasa Signature Model -5st with Fishman V-300

Johann Gottlieb Graun : Quartet in D major / Manuscript, August Kohn ca.1755-62