「Violoneという低音弦楽器」の回でモンテヴェルディのオルフェオに様々な楽器が使用されていることをお話しました。その中で、Viola da braccioが使用されているのを覚えていらっしゃるでしょうか。
使用楽器の説明には「Dieci Viole da brazzo」と書かれていたやつです。
少し綴りが違いますが、Viola da braccioの事です。
まあこの時代の文献にはよくあることで、同じ文献の中でも綴りが変わっていたりします。
ところで、その他の楽器はそんなに楽器数が多くありませんが、このViole de brazzoだけは「Dieci」つまり10台の楽器を指定されています。
これについて、英国生まれの指揮者兼音楽学者のジェーン・グローバー(Jane Alison Glover 1949-)はモンテヴェルディの楽器リストを分析し、Viole de brazzoは2Violin、2Viola、1Celloの2セットで10台編成だったとしています。
つまり、この当時はビオラ・ダ・ブラッチョといえばソプラノ・アルトなどの各音域がある楽器属のことを指していたということです。
ビオラ・ダ・ガンバでもトレブルやバスのビオラ・ダ・ガンバがありますから、同じように分類されていたはずだったのではないでしょうか。
Michael Praetorius "Syntagma musicum II; Theatrum Instrumentrum XX"
楽譜の中にも楽器の指定があるのですが、32ページには以下のような指定があります。
Fu sonato questo Ritornello di dentro da cinque Viole da braccio, un contrabasso, duoi Clavicembani & tre chitarroni.(一部、fはsに、vはuに、uはvに変換されます)
”このリトルネッロは5台のビオラ・ダ・ブラッチョ、1台のコントラバス、2台のクラビチェンバロ、3台のキタローネで演奏する”
綴がなおっていたり、コントラバスとしか言ってなかったり、チェンバロ2台!と突っ込みどころが色々ありますが、とりあえずそこは置いといて、その下の5つの5線譜を見てください。
Claudio Monteverdi: L'Olfeo p.32
各5線譜のはじめに現代の譜面と同じように音部記号が書いてありますが、全部いわゆる「ハ音記号」の位置をずらして各声部を表現しています。
つまり、5つの声部がビオラ・ダ・ブラッチョ、コントラバス、クラビチェンバロ、キタローネで演奏されるわけです。しかし、ビオラ・ダ・ブラッチョ以外は通奏低音を担当する楽器達です。
(クラビチェンバロとキタローネは高音も演奏出来ますが、当時は基本的に通奏低音をメインに演奏する伴奏楽器として使用されています。)
そのため、特にアルトやテノールの声部を担当するのはビオラ・ダ・ブラッチョであったと考えるほうが自然です。
また、明確にバイオリンと低音のブラッチョを指定している部分もあります。
このように内容を分析していくとViola da braccioは各声部の楽器があったはずなのがわかります。
そして、P.81では以下のように指示されています。
Claudio Monteverdi: L'Olfeo p.81
Qui canta Orfeo al suono del Clavic. Viola da braccio basso, & un chitar.
”このオルフェオの歌はクラビチェンバロ、ビオラ・ダ・ブラッチョ・バッソそしてキタローネで演奏(伴奏)する”
このように、「Viola da braccio basso」と、ここでも明確にビオラ・ダ・ブラッチョの低音楽器と指示しています。
そして、このビオラ・ダ・ブラッチョ・バッソは前回の「大きくて小さい楽器」で見たBas-Geig de bracioのことを言っていると思われますが・・・
Michael Praetorius "Syntagma Musicum II; Theateraum Instrumentorum XXI"
ですが、その時に「チェロは「横に寝かせて肩や胸などに担ぐ楽器」であるViola da braccioの仲間」とお話したのを覚えていますか?
そう、まさにビオラ・ダ・ブラッチョ、つまり「腕のビオラ」の低音楽器として、もっと小さく、肩にストラップをかけて楽器を横向きに保持する楽器もあったのです。
Unknown artist "Sir Henry Unton (ca.1558-1596)" c.1596
赤丸のところを拡大したものが下の図です。
白黒なのは画質が荒かったために、他の本から同じ絵の拡大図を持ってきたからです。
クリストファー・ホグウッド 宮廷の音楽 P.37
右下の人は楽器をギターのように構えていますが、右手には弓を持っています。
また、ブラバント公国(現在のオランダ)の画家であるピーテル・ブリューゲルの絵にも同様に構えた楽器が描かれています。
Pieter Brueghel the Elder (1525/1530–1569) "De triomf van de Doods" c1562
この絵はより古い時代のもので、どちらかというとルネサンス時代になります。
右下の丸で囲った所をよく見てください。
人間ではなく骸骨ですが、同じように楽器を構えて弓を持っています。
厳密にはC字孔ですし、ヘッドが見えないのでリラ・ダ・ブラッチョの可能性も否定できませんが・・・。
しかし、そのピーテルの息子、ヤンはもっとわかりやすく同じような楽器を描いています。
Jan Bruegel (I) (1568-1625) "Boda campestre" 1612
Jan Bruegel (I) (1568-1625)
"Banquete de bodas presidido por los archiduques Alberto de Austria e Isabel Clara Eugenia" 1612-1613
ヤンが描いたものは間違いなく5弦でF字孔、ヘッドにはスクロールがある楽器であり、大きさも現代のものより少し小さい感じのものです。
特に注目すべきは、バイオリン、ビオラ、チェロのトリオになっているところで、「ビオラ・ダ・ブラッチョ」がこの3種類でセットになっていることがよくわかります。
この絵はモンテヴェルディのオルフェオと同時期の17世紀初めに描かれた絵ですから、これらをふまえるとビオラ・ダ・ブラッチョ(のセット)と指定があるなら、この楽器たちだった気がしませんか?
私も初めはヨーロッパといえども地域差があると思っていたのですが、中世から吟遊詩人はヨーロッパ各地の貴族などに招待されたり、地域のお祭りなどで活躍していました。
また、当時の有力貴族・ハプスブルグ家は各地の王族と婚姻関係を結んでいます。
アンドレア・アマティもイタリア・クレモナで製作していましたがフランス王家にかなりの数の楽器を納品しています。
フランス王家のあったパリはオランダに近いですし、フェリペ2世のスペイン王家なんかは飛び地(植民地)で多くの領地も持っていましたから、人・もの・情報の伝達は比較的早かったようです。(なんと言っても「太陽の沈まない国」ですから)
このように、案外調べてみると音楽の流行の伝播も、数年で各地に伝わっていたようです。
ですので、ヤン・ブリューゲルの絵を基に、「同時代であるオルフェオのビオラ・ダ・ブラッチョという指定楽器は、チェロも横にして演奏するこのセットだった」という仮説も可能性が高いのではないかと思います。
とにかく、バロック時代はチェロの音域のビオラ・ダ・ブラッチョは2種類の楽器があったことは明確です。
- 縦にして床に置いて演奏する大きめのもの
- 横にしてストラップなどで肩にかけて演奏する小さめのもの
横にしてストラップなどで肩にかけて演奏するこの楽器は、今では「Violoncello da spalla(肩のチェロ)」と一般的には呼ばれて、少しづつではありますが認知されてきています。
シギスヴァルト・クイケンやセルゲイ・マーロフ、寺神戸亮などの演奏家が積極的にこの楽器を使って活動を行っています。
また、上の動画で演奏家としても活躍している製作家のドミトリー・バディアロフや日本の製作家である髙倉匠は、この楽器を積極的に製作して普及に努めています。
特に私の友人でもある髙倉さんは、日本でのこの楽器の第一人者でもありますので、この楽器については私よりも彼に聞いたほうが良いでしょうね。
興味がある方は彼にコンタクトを取ってみてください。
出典・参考文献
Michael Praetorius: Syntagma musicum II
Claudio Monteverdi: L'Olfeo
クリストファー・ホグウッド 吉田泰輔訳 :宮廷の音楽
NATIONAL PORTRAIT GALLERY / Sir Henry Unton
Wikimedia Commons
Category:The Triumph of Death by Peter Bruegel