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自由な音楽

古楽演奏の時代考証⑧

音楽は人類史と共に歩んできていますが、緩やかに現代まで発展して来ているわけではなく、世界の音楽の中心である西洋音楽はバロック時代を機に大きく発展しています。

そこに深く関与しているのが「楽器」だったと私は考えます。

西洋では5世紀から15世紀の「中世」と呼ばれる約1000年間は文化面で発展が少なかった暗黒の時代とみなされることが多く、その後の反動で花開いた文芸復興運動を「再生(生まれなおす)」という意味であるルネサンスと呼んでいることからもわかります。

※ルネサンスは仏語、伊語ではrinascimento(「生まれる」のnascieに「再度」という前置詞ri-が付いている)と呼ぶ。英語で無理やり直訳すると「reborn」になる。

そのルネサンス時代でも音楽の発展はあったのですが、その後のバロック時代に比べればそこまでの広がりをもってはおらず、ポリフォニーによる声楽、特に宗教歌曲が中心です。

バロック時代に至って、バイオリンもそうですがピアノの元になったチェンバロなど16世紀から多くの楽器が一般に普及してきたことにより、それを演奏するための技法や新しい器楽形式の発生に伴う様式や理論が発達しました。

 (前略)我々が最も親しんでいる音楽の様々な要素が、なにもかも整えられ始めた時代だったと言ってもいいだろう。

 バロック時代における音楽史的に重要な現象を大きくとらえると、1つは劇音楽(直接には歌劇)の誕生とその発展という流れであり、他の1つは、本格的な器楽が興隆したことの2つを挙げることができる。

千蔵八郎著 音楽史〈作曲家とその作品〉P.30

事実、西洋音楽史の主軸はバロック時代から教えられることが多く、特定の作曲家についてもこの時代から語られることが多いです。

ビバルディやバッハを知っている人は一般的に多いですが、デュファイやデ・プレを知っている人は音楽に携わっているわずかな人のみです。

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デュファイ (左)とバンショワ

ギヨーム・デュファイ(またはデュフェ、Guillaume du Fay、1397年8月5日 - 1474年11月27日)はルネサンス期のブルゴーニュ楽派の音楽家である。(中略)音楽の形式および精神の点で、中世西洋音楽からルネサンス音楽への転換を行なった音楽史上の巨匠である。

ギヨーム・デュファイ:: 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このように、バロック時代からが西洋音楽の出発点のように見えてしまいますが、それでも器楽の観点からすればまだまだ発展途上だった時代です。

ストラディバリウスが現代でも使用されているために、バイオリンはバロック時代から変わっていないように思われがちですが、現代のモダンバイオリンが一般化したのは19世紀のロマン派あたりからであり、あのパガニーニでさえ顎当てがまだ無い時代の人物です。

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ニコロ・パガニーニ(Niccolò(あるいはNicolò) Paganini, 1782年10月27日 - 1840年5月27日)はイタリアのヴァイオリニスト、ヴィオリスト、ギタリストであり、作曲家である。特にヴァイオリンの名手としてヨーロッパ中で名声を獲得した。

ニコロ・パガニーニ: 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スチールのE線も第一次世界大戦後(20世紀初頭)に普及していますから、作曲家で言うとラベルやストラビンスキーの時代で、ナイロン弦に至っては1970年代からですので、たったの50年程度です。

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左からストラヴィンスキー、リムスキー=コルサコフ、娘のナジェージダ、シテインベルク、カーチャ(ストラヴィンスキーの妻)(1908年)

イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(ロシア語: И́горь Фёдорович Страви́нский、1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシアの作曲家。

同じくロシアの芸術プロデューサーであるディアギレフから委嘱を受け作曲した初期の3作品(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)で知られるほか、指揮者、ピアニストとしても活動した。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人である。

イーゴリ・ストラヴィンスキー: 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この様に、バロックバイオリンの代名詞とも言える裸のガット弦は古典派は当然ながらロマン派の時代でも使っていたのですから、音楽史上では裸のガット弦を使用していた期間の方が長いのです。

その上、大量生産を行う工場も存在せず、職人一人一人によってしか楽器が作り出されなかった時代ですから、限られた数しか楽器そのものが存在しませんでした。

そして、現代の様な画一的な規格は無かったので、弦長でさえ職人によって様々だった時代です。

宮廷楽団があったとしても一流の職人であるアンドレア・アマティやアントニオ・ストラディバリに楽団の楽器を一式注文できる貴族は稀で、ほとんどの宮廷楽団は様々なメーカーの寄せ集め、或いは有名・無名のお抱え職人に作らせていたに違いありません。

つまり、バロック時代の生まれたてで発展途上であった楽器たちは、サイズも調弦も弓などの付属品でさえも玉石混交、何でもありな時代だったのです。

ということは、バロック初期に作らせた楽器を古典派の時代まで使用し続けていたとしてもおかしくはないのです。

しかし、印刷技術の発達や移動手段の発達のおかげで、音楽の流行はヨーロッパ中に伝わるのに数年・十数年しか時間を必要としませんでした。

機械で印刷された楽譜が初めて登場したのは1473年のことで、これはヨハン・グーテンベルクによる活版印刷技術の開発から20年後にあたる。

(中略)

楽譜の線が5本に落ち着いたのは、17世紀に入ってからで、・・・

楽譜: 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

有名作曲家が作った音楽は印刷・販売されていたということは、その作曲家が所属していた楽団だけで演奏されたわけではなく、ヨーロッパ中で演奏されたはずです。

そういった背景だったので、音楽はバロック後期、それこそ古典派の時代であってもバロック初期の楽器を使用するのは当たり前の風景であり、宮廷楽団の使用する弓が固定されたフロッグのものやネジ式のものが一緒に演奏しているのも当たり前だったと思うのです。

長い間バロック時代のバイオリン属について考察して、各回でそれぞれ「この時代にはこんな楽器が使われてきた・この曲で作曲家が想定していた楽器はこうだった」とお話をしてきましたが、当時の現状では必ずしもそれが守られていたわけではない、むしろ守られていないのが当たり前だったのだと思います。

特に低音楽器は様々だったと思います。

もちろん、オリジナルの楽器を研究し、再現することが無意味だとは言いません。

バロック音楽は一度廃れて演奏されなかった時代があり、メンデルスゾーンやカザルスの再発見によって19世紀以降から再度演奏されるようになりました。

(前略)過去の遺物となったバロック時代の音楽は18世紀後半にはほぼ完全に忘却された。

ロマン派期になると、メンデルスゾーンによるバッハのマタイ受難曲の「再発見」に象徴されるように、バロック時代の音楽へと興味が向かうようになり、作品にバロック風の味付けを施す作曲家もいた(たとえばブラームスやフランクなど)。

バロック音楽: 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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James Warren Childe (1780–1862) "Felix Mendelssohn Bartholdy at the age of 30 in London" 1839

(前略)ベルリンにおいてバッハの「マタイ受難曲」を編曲、自らの指揮により蘇演を果たした。(中略)演奏に際しては、管弦楽と合唱をベルリン・ジングアカデミーが務めることになった。1750年にバッハが没してから初となるこの演奏の成功は、ドイツ中、そしてついにはヨーロッパ中に広がるバッハ作品の復活につながる重要な事件だった。

フェリックス・メンデルスゾーン: 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

しかし、その時にはモダンの楽器が中心でしたから、解釈が偏っていたり、無理な奏法があったり、おかしなアーティキュレーションをつけている場合もありました。

元々は学術的な探求から始まった古楽ですが、当時の楽器であれば自然に表現出来たり、違和感なく演奏が出来ることを発見することが出来たのは、他でもない古楽器の研究や再現・再演のおかげです。

そのおかげで、バロック音楽の表現がより多彩になったのは間違いなく、学究だけでなく演奏の世界でもとても意義のあることであったと思います。

ただ、「時代的にその弓はそぐわない」とか、「作曲家が意図していない楽器だからその楽器で演奏してはいけない」と言って批判したり禁止するのは間違っていると思うのです。

前述したようにバロック時代の楽器はなんでもありであったように、バロック音楽そのものも自由なものだったはずです。

モダンの楽器に裸のガット弦を張って、バロック風の弓で演奏するのでも良いじゃないですか。

そこからの発見もあるかもしれませんし、古楽の裾野が広がることは単純に良い事だと思います。

外見や物にこだわって、音楽の本質を見誤ってはいけないと私は思います。

演奏者でもない者が偉そうに言ってしまいましたが、昨今の「自粛警察」のように、どの世界でも自分が正しいと信じていることを他人に強いる人はいるものです。

こんなご時世だからこそ、もっと自由に、人にやさしく出来るといいなと思います。

古楽演奏の時代考証としてお話をしてきましたが、最後におまけとして特殊な使用方法をされていた小さなバイオリンについて、次回お話したいと思います。