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バロック時代の「ビオラ」

古楽演奏における時代考証②

前回はバイオリンを中心に見てきましたが、ビオラも当然バロック時代では違いました。

違うどころか今よりも様々な大きさのものがあり、得てして大型のものが多かったようです。

それに、ビオール族の楽器である「Viola da gamba(ビオラ・ダ・ガンバ)」にも「Viola(ビオラ)」という言葉が使われている様に、元々「Viola」という言葉は「擦弦楽器」という意味で使われていた言葉です。(Viola da gambaは「足の擦弦楽器」という意味ですし、「ビオール」という言い方はフランス語で、イタリア語の「ビオラ」と同じ意味の言葉です。)

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ビオラ・ダ・ガンバを演奏するアンリエット王女

Jean-Marc Nattier "Anne-Henriette de France" 1754

バロック以前のルネサンス時代は、まだまだ楽器の分化が進んでいない時代だったので弓で弾く楽器すなわち擦弦楽器は大体「ビオラ」と呼ばれていました。

様々な楽器が作り出されていった時に、弾く位置や楽器の印象などで説明的に「Viola 〇〇(〇〇のビオラ)」と名付けられていったのです。

Viola da gamba:足のビオラ

Viola da braccio:腕のビオラ

Viola tenore:テノールのビオラ

Viola contralto:アルトのビオラ

Violino:小さなビオラ

Violetta:小さなビオラ

Violone:大きなビオラ

Violoncello:大きな小さなビオラ

Viola d'amore:愛のビオラ(共鳴弦のおかげで甘美で温かい音色が生じるから、または愛の神エロスの彫刻が施されていたから、「ムーア人のビオラ」という意味、など諸説あり)

Viola bastarda:とんでもないビオラ(楽譜に書かれた声部から離れて自由に演奏することをalla bastardaと呼ぶことに由来)

Viola pomposa:華やかなビオラ

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ベルギーのバイオリニストでビオラ・ダモーレ奏者、作曲家でもあるウェーフェルゲム

Photograph of Louis Van Waefelghem (1840–1908), Belgian composer and viola d'amore player.

この様に様々な「ビオラ」があったわけですが、この中でもViola contraltoとViola tenoreが進化して現代のビオラになりました。

特にバロック初期、アンドレア・アマティやガスパロ・ダ・サロなどが作っていた楽器は本体の大きさ(箱の部分)が45から47センチありました。

現代の一般的なビオラが37センチから42センチですから、かなり大きめなのがわかります。

それにしてもこんなに大きいと演奏しづらいのではないでしょうか。

しかしビオラのその音域から考えると、音響学的には本体の大きさが53センチ前後必要になりますので、なるべくそれに近づけるために大きな楽器を作ったのではないかと思われます。

ちなみにアンドレア・アマティの作った現存するビオラは、現在はそのほとんどが小さなサイズに改造されています。

時代が下って、アンドレアの息子であるアントニオとジローラモのアマティ兄弟はテノールだけでなくアルトのビオラもいくつか作っています。

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Viola contralto; Antonio e Girolamo Amati 1615

本体の大きさは41.1㎝

そしてその後の作家であるニコロ・アマティとアントニオ・ストラディバリもアルトとテノールの2つを作っています。

ともあれ、ビオラはバロック初期はテノールのみで、中期から後期にはコントラルトもあったようです。

現在のビオラはこのコントラルトを基準に作られています。

そしてストラディバリたちが作ったViola contraltoはそのまま現在のビオラとして使用されています。

ここで気になるのが音域です。

特にアリベルティ公爵という人物がトスカーナ大公コジモ3世の息子フェルディナンドに贈るため、ストラディバリに作らせたタスカン・クインテットは、Violino2挺、Viola contraltoViola tenore、Violoncelloで構成されているため、コントラルトとテノールが一緒に使用されることを前提に作られていたのではないかと思います。

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Antonio Stradivari: viola tenore "Medicea" 1690 本体のサイズは47.8㎝

"IL SEGRETO DI STRADIVARI" P.19 Fig. 17

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上図の楽器を実際に弾いている写真、大きいとはいえ弾けなくはないのがわかる。

「ヴァイオリンとヴィオラの少百科」P.23

ということは、コントラルトとテノールは違う音域であったのでしょうか。

現在のビオラはバイオリンの5度下のC3・G3・D4・A4です。

(バイオリンはG3・D4・A4・E5、太字の部分はビオラと同じ音に調弦する)

バイオリン族はAを基準とした5度調弦の純正律の自然短音階ですから、バイオリンの一つ低い調弦は現在のビオラの調弦以外ありえません。

なので、コントラルト・ビオラは現在のビオラと同じ調弦であったのは間違いないはずです。

しかし、C3は声楽のテノールの最低音域でもありますので、この調弦でテノール声部が十分演奏可能です。

実は声楽でのアルトの音域はバイオリンの低音がそれに当たる音域になります。なので、バイオリンはアルトからソプラノまで演奏できる楽器でもあります。

ところで、このトスカーナ大公コジモ3世の息子フェルディナンドは音楽をこよなく愛していたようで、多くの音楽家を庇護していました。そのため彼への献呈や依頼で作られた楽曲も多く、1711年にアントニオ・ヴィヴァルディは協奏曲集「調和の霊感」を彼に献呈しています。

時代的にもストラディバリがこのビオラを納品した後であり、1700年の大公文書の目録にもこのクインテットは記載されています。

その「調和の霊感」ではアルトパートが2部存在します。

これはビオラが2つの声部を担当していたことの証のようですが、実は楽譜を見ると同じ演奏をする部分も多く、音域も同じだったりします。

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調和の霊感 右が第1アルト、左が第2アルトの楽譜

"L'estro Armonico" Alto Primo; CONCERTO I : Alto Secondo; CONCERTO I

実際、当時の楽譜でも「Alto Primo」「Alto Secondo」となっていますので、現在と同じ様にビオラの部分を「アルト」として作曲されたのがわかります。しかし、先程も言いましたが声部としてはどちらかといえばテノールの音域になります。

この楽曲の両アルト部の最低音はどちらもC3ですから、調弦は現代のものと同じだったでしょう。

このことからわかることは、コントラルト、テノールの両ビオラは実は声部・音域を分けていたのではなく、同じ音域・調弦でありながら「音色的に高音に適したコントラルト」と「音色的に低音に適したテノール」として、音色の印象をコントラルト、テノールとして呼び分けて作られたのかもしれません。

なので、特に献呈先に2つのビオラがあるのがわかっていて、その上でアルト部が2部構成になっている「調和の霊感」は、「Alto Primo」はViola contraltoを、「Alto Secondo」はViola tenoreを使用するのが作曲家の意図なのかもしれません。

ただ、ストラディバリは12挺ほど作ったビオラの中で、テノール・ビオラを作ったのはこれだけです。

この様にすでにバロック後期にはテノール・ビオラの需要は少なくなっていたのがわかります。

古典派以降はビオラといえばコントラルトになっていたのでしょう。

とはいえ、すべての楽曲がこういった背景がわかるわけではないでしょうから、バロック初期の作品は基本テノールで、中・後期は背景がわかるものは選べばいいが基本的にはコントラルトで演奏すれば問題がないのではないでしょうか。

ただ、バロック中・後期の楽曲でビオラの楽譜が2部構成なら、コントラルトとテノールで考えたほうが良いのかもしれません。

次回はチェロなどの低音楽器を考えていきたいと思います。

出典・参考文献

Wikimedia commons

 Jean-Marc Nattier

 Louis Van Waefelghem

Roger Hargrave: "Andrea Amati 1505 - 1577"

春秋社 藤原義章 「ヴァイオリンとヴィオラの少百科」

cremonabooks: Andrea Mosconi "Gli Strumenti di Cremona Il Palazzo Comunale e la Collezione di Strumenti ad Arco"

Takashi Aoki: "The understanding of that why the violin is tuned from A pitch"

Eric Brot Edizioni: Sinmone F. Sacconi: "IL SEGRETO DI STRADIVARI"

Antonio Vivardi: L'estro Armonico