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ヴィエニアフスキーコンクール

トリエンナーレが今年開催されるとお話しましたが、もう一つ今年開催される製作コンクールがあります。

それが、ポーランドのポズナンという街で開かれる、第14回国際ヘンリク・ヴィエニアフスキーバイオリン製作コンクールです。

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ポズナンまたはポズナニ(Poznań・Pl-Poznań.ogg [ˈpɔznaɲ])は、ポーランド西部に位置する、ポーランド最古の都市の一つで、中世ポーランド王国の最初の首都である。ラテン語名はポスナニア(Posnania)、ドイツ語名はポーゼン(Posen)、イディッシュ語名は פויזן (Poyzn)。ヴィエルコポルスカ県の県都である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

正式名称は

MIĘDZYNARODOWY KONKURS LUTNICZY IM. HENRYKA WIENIAWSKIEGO(波)

International Henryk Wieniawski Violin Maker Competition(英)

です。

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ポズナンのヘンリク・ヴィエニアフスキー音楽協会(Towarzystwo Muzyczne im. Henryka Wieniawskiego w Poznaniu)が主催しています。

今年の5月8日から14日に出典楽器の展示がされる予定で、1月31日に申込締切されました。

今年が14回目で、1957年から約5年おきに開催されています。

なんで「約」と言ったかというと、5回目(1977)と6回目(1981)の間が4年間だったからです。

この1981年は、12月にポーランドで政情不安による戒厳令が布かれた年でもあります。

おそらく国内の政情不安を考慮して開催を前倒ししたのではないかと思うのですが、公式な情報は見当たりませんでした。(ご存じの方がいらっしゃいましたらご一報下さい。)

このコンクールは一般的にはヴィエニアフスキー製作コンクールと呼ばれ、演奏家のヴィエニアフスキーを冠しています。

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ヘンリク・ヴィエニャフスキ(ポーランド語: Henryk Wieniawski, 1835年7月10日 - 1880年3月31日モスクワ)はポーランドのヴァイオリニスト・作曲家。ルブリン出身。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

元々は1935年に彼の生誕100年を記念してバイオリニストの国際コンクールが創設されましたが、後の1957年に製作コンクールが併設されます。

ちなみに今度のバイオリンコンクールは2022年に開催予定です。

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こちらのコンクールも約5年おきに開催されていて、元々製作コンクールはこのコンクールと一緒に開催されていました。

しかし、昨年からのCOVID-19感染拡大の影響で、初めて別の年に開催することとなりました。

このバイオリンコンクールの第1回優勝者はジネット・ヌヴーで、2位がダヴィッド・オイストラフです。

その後もイーゴリ・オイストラフやタチアナ・グリンジェンコ、漆原啓子などが優勝しています。

初期の頃の製作コンクール受賞者にはチェコやポーランド、東ドイツの人が多いのですが、だんだん国際色豊かになり、第11回(2006)には日本人の菊田浩氏が優勝しています。

菊田さんは他にもチャイコフスキー・コンクールでも優勝していて、TVにもよく取り上げられるので人気も高く、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

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菊田 浩 Kikuta Hiroshi

・イタリア弦楽器製作家協会(ALI) プロフェッショナル会員
・日本バイオリン製作研究会(VSJ) 会員
・関西弦楽器製作者協会会員

関西弦楽器製作者協会HP 参加会員 より

また、第7回(1986)から第10回(2001)までの計4回で日本人の無量塔蔵六氏が審査員を務めています。

無量塔 蔵六(むらた ぞうろく、本名・村田 昭一郎(むらた しょういちろう)、1927年(昭和2年)3月4日 - 2020年(令和2年)1月30日)は、日本のヴァイオリン製作者。

(以下抜粋)

1962年、西ドイツのバイエルン州にあるミッテンヴァルトの国立ヴァイオリン製作学校へ留学し、1963年、日本で初めてマイスター国家試験(Geigenbaumeister)の資格を取得

1979年4月2日、後継者の育成のために自宅の敷地に東京ヴァイオリン製作学校を開校する

2020年1月30日、直腸がんのため死去

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ミクスト・ミューズ : 愛知県立芸術大学音楽学部音楽学コース紀要 8号(2013)

七條 めぐみ :無量塔蔵六ヴァイオリンを語る より

彼は日本の現代バイオリン技術の基礎を作り上げた人物で、彼が創設した東京ヴァイオリン製作学校からは多くの人材を輩出し、卒業生は今なお日本のバイオリン製作・修理技術の中核を担っている人物たちばかりです。

他にも複数のコンクールで審査員を務めていました。

1986年から1993年までプラハ国際ヴァイオリン製作コンペティションのレギュラー審査員、1986年から2001年までヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン製作コンクールのレギュラー審査員、1986年から2002年までチャイコフスキー国際コンクールのレギュラー審査員、1987年から1996年までソフィア国際弦楽器コンクール・レギュラー審査員、1990年にロン=ティボー国際コンクールのコンクール審査員を務める。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヴィエニアフスキーバイオリン製作コンクールは現在まで続いている国際製作コンクールとしては最古となりますが、なぜかトリエンナーレやチャイコフスキー・コンクールの方が有名ですね。

出典・参考文献

Towarzystwo Muzyczne Imienia Henryka Wieniawskiego

菊田 浩 / 関西弦楽器製作者協会

ミクスト・ミューズ : 愛知県立芸術大学音楽学部音楽学コース紀要

 8号(2013) 七條 めぐみ :無量塔蔵六ヴァイオリンを語る

Wikipedia

 ポズナン

 ヘンリク・ヴィエニャフスキ

 無量塔蔵六