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クレモナの教会たち

 クレモナのクリスマス期間はプレゼーピオを見るのに教会巡りをするのが楽しみの一つとお話ししました。

 「巡る」と言うことはそこそこ多い数の教会がないと成り立ちませんよね。

 イタリアの街には教会がたくさんありますが、クレモナも比較的教会の多い街の一つです。

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 Google Mapで確認してみたのが上の地図です。検索では全て出なかったので、教会のマークを追加してあります。なんかまだあった気がするのですが・・・・。

 旧市街地は長い部分でも歩いて30分くらいで行ける距離です。そんな狭い場所にざっと見て25もの教会がひしめき合っています。そして昔はもっとありました。

 もちろんそれにはわけがあります。

 それはクレモナが財政的に豊かな街だったからです。

 宗教団体は物を生産するものではなく、サービスを提供するものです。キリスト教カトリックも当然サービス提供を主として行う機関です。しかも基本的にはサービスを提供するときに報酬は求めません。ですが、サービス提供を行うための経済力が必ず必要です。

 では、どこからその財源は出ているのか?

 個人の檀家さん(と言っていいのか?)もいるので、彼らからのお布施もあったでしょうが、それでは新しい教会を建てるといったことまでは出来ないでしょう。せいぜい維持していくのがやっとです。(もちろんそこそこ裕福な人達が集まって作った教会もあったでしょうが。)

 そこであらわれるのが貴族や大商人といった庇護者です。彼らが私財をなげうって、新しい教会が建てられていくわけです。

 お金持ちな彼らは、自分の邸宅の前や横に、自分が出資した教会を建てるのがステイタスだったのです。もちろん「ノブレス・オブリージュ」(財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴う)の精神で建設することもあったでしょう。

 つまりクレモナはお金持ちがたくさんいた街なのです。

 お金持ちがたくさん生まれる理由もクレモナにはあります。

 クレモナは紀元前4世紀ごろからある古い街で、ポー川流域にある交通の要衝でした。自動車が発明され、物資輸送にトラックが使われるようになる近代までは、大量の物資輸送は船が最も効率的でコストが低かったので、川や海が物資輸送の主役でした。(現代でも大量の物資輸送はタンカーを使った海上輸送が主流です。)

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 ポー川は東西に流れる川なので、流域から北や南に物を運ぶときに、船から荷揚げして馬車などに積み替える場所が各地に必要です。(地図上のピアチェンツァやパビア等)クレモナはその中の一つだったのでしょう。

 当然中継地には問屋や商店が出来るようになり、物が集まるようになります。物が一旦止まる場所には人も止まり、そこでお金が使われ、街が潤っていくことにもなります。

 特に中世からは織物商人が多くいたようです。クレモナの守護聖人である聖オモボノ(sant'Omobono Tucenghi 12世紀の人物で、商人や仕立て屋の守護者)も織物商人だったそうで、偉大な製作家であったアントニオ・ストラディバリの末っ子、パオロ・ストラディバリも織物商人でした。

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sant'Omobono

 織物商人全盛期の中世には今よりも多くの教会がありました。クレモナ出身の画家、Antonio Campi(c. 1522 – 1587)が描いた地図が残っています。

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Antonio Campi: Cremona fedelissima citta et nobilissima colonia de Romani (1585)

 上の地図に教会の位置を分かる範囲で印をつけましたが、16世紀にはざっと見て47もの教会があったようです。

 その後、多くの教会が使われなくなり、病院や公的施設、はたまた倉庫や個人の集合住宅になったりしました。今でもクレモナの街中には、外観から教会であったであろうと推測できる建物が数多く残されています。

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via Bissolati: 閉鎖された教会

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Ex chiesa di San Francesco:閉鎖後に病院として使用、さらにその後閉鎖

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Ex chiesa di San Lorenzo:サン・ロレンツォ考古学博物館として使用されている

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何に使用されているかはわからない

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集合住宅として再利用

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倉庫?

 アントニオ・ストラディバリのお墓があった聖ドメニコ教会のように、完全に解体されて広場になっているところや、全く違う建物が建っているところもあって、少し残念ではあります。でも、人間の営みの上で必要なくなってしまうと捨てられてしまうのは仕方のないことですよね。

 聖ドメニコ教会はなくなりましたが、アントニオ・ストラディバリの墓石は、レプリカがローマ広場に、オリジナルはバイオリン博物館に残っています。

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バイオリン博物館蔵: アントニオ・ストラディバリの墓石

参考文献

Google Map

Wikipedia

 Cremona

 Omobono Tucenghi

 Antonio Stradivari

Wikipedia Commons

 Category:Cremona fedelissima citta et nobilissima colonia de Romani (1585)