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定量記譜法

 ネウマ譜が譜表を使うようになって、ある程度音の高低がわかるようになりましたが、まだ音価(音の長さ)ははっきりしていません。

 これは、もともとネウマ譜がコーラス隊に歌を教える時の歌詞に付随した指示書的な意味合いを持っていた、つまり歌を知っている人が読む譜だったことも原因だったのでしょう。

 そんななか、12~13世紀にかけてパリのノートルダム寺院を中心に活躍したノートルダム楽派と呼ばれる作曲家たちが、リズムを6種類のパターンでまとめて音符を線でつなげて表示するという「モーダル記譜法」という方法を思いつきました。

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Alleluia nativitas : Pérotin

 しかし、前回もお話ししましたが、ポリフォニーが複雑化していくと他の声部とタイミングを合わせなくてはいけなくなるので、モーダル記譜法だけではうまく合わなくなることもあり、それぞれの音の長さがより明確にならないといけなくなってきました。

 そして、13世紀に個々の独立した音符の長さが見ただけでわかるようにするという方法が生まれます。それをケルンのフランコ(Francone da Colonia)が「計量音楽論」(Ars cantus mensurabilis)という文書の中でより明確に定義して説明しました。

 「フランコ式記譜法」と呼ばれるその方法は、Longa(ロンガ:長い)、Brevis(ブレビス:短い)といった四角い音符で構成され、休符は縦線を使って表現する方法です。しかし、この音符には同じ表記でありながら長さが違うものも存在し「2つ続くと始めの音は長い」とかそれらの定義などもあるのですが、現代譜からするとまだまだわかりにくい状態です。

 これが14世紀に入るとSemibrevis(セミブレビス:ブレビスに準ずる)、Minima(ミニマ:最小)などが加えられていき、よりリズムが複雑化していきます。

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 この頃の音符は黒い四角で表現され、「黒符定量記譜法」と呼ばれていました。これは羊皮紙に書くときに葦ペンなどの幅広のペンで容易に書けるからではないかと私は想像します。特に当時は人の手で写本していましたから、簡単に書けるほうが残されやすかったですし、写本する人が勝手に簡略化する場合もあったでしょう。

 それが、15世紀半ばから16世紀にかけてからは白抜きの音符による「白符定量記譜法」が中心になっていきます。それは音楽が発達し多くの音符が必要になってきたこともありますが、グーテンベルクの活版印刷技術の発明に伴って紙の品質が良くなっていき、インクの乗りが良くなって白抜きで書いても滲んだり潰れたりすることがなくなったことも背景にあるでしょう。

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 この頃になると譜表も五線譜を使用するようになり、かなり現代の楽譜に近くなるのですが、まだ小節という概念は乏しく、まとまりのないリズムの流れをとることになります。また、音符も2分割(例えば現代で言うところの2分音符1つ=4分音符2つ)だけではなく3分割(例えれば2分音符一つ=4分音符3つ)の場合もあり、曲を知っている者でないと正確に理解することが困難な場合もありました。

 それが15世紀ごろになると音符は2分割に統一される様になり、丸い音符が現れたり小節がはっきりするようになってきて、現代の五線譜へとなっていきました。これにはイタリアのオペラ界で音楽による楽譜の違いを統一し煩雑さを無くそうとする動きが出たからとも言われています。

 ところで、譜表がなぜ五線になったのかは、

  •  人間の視覚と脳神経感覚が瞬時にはたらきうる限界の本数で、これ以上の本数だと読譜が困難になる。
  •  逆に少ないと加線を多く使うようになるので読譜しにくいし、見た目が悪い。
  •  五線に書ける音域は11度で、この音域が歌の旋律をうまく収めることが出来る数だった。

 といった理由からだと言われています。

 余談ですが、譜表が11本で2声部を表現していたものもあったそうです。現在も大譜表はト音記号の高音部とヘ音記号の低音部それぞれ5本で、中心の音は加線でドを表しますから、ある意味11本線があるのと同じ表現ですよね。

 音符が四角から丸に変わったのはやはり書きやすさからだったのでしょう。

 白色定量記譜法になってから白抜きで書かなければならなくなったので、葦ペンなどでは書きにくくなりました。かと言って羽ペンなどの先の尖ったペンで書く場合はいちいち角を書かなくてはいけないですから、素早く書いていくと自然に丸くなり「それでいいじゃん」となったのではないでしょうか。

 こんな感じで、その他の記号や記譜法もそれぞれ追加・削除されていって現代の楽譜へと変遷していきました。

 バロック時代ではほぼ現代と同じ記譜法になりましたが、バロック時代初期のフレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi (1583-1643))なんかは6線と8線の楽譜を書いたりしています。

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Toccate II (1637): Girolamo Frescobaldi

 楽譜の歴史もかなり複雑かつ膨大な情報がありますので、今回ご紹介しきれなかった事がたくさんあります。もちろんすべてを把握しているわけでもないので色々漏れもあると思いますが、ざっくりとこんな流れで出来てきたことは感じていただけたのではないでしょうか。

 楽譜の発展には、紙や印刷技術、文房具などの技術の発展も背景として大きく関与していました。今では簡単に安く手に入る紙ですが、昔は高級品でしたから楽譜一枚書くのも一苦労。あたりまえですがみんなで共用したり、支配階級などしか手には出来なかったでしょう。

 そう考えると100年単位で発展していったのにも当然と思えます。

参考文献

 Wikipedia

 青山社 新造文紀 著:「教養のための音楽概論」

 河出書房新社 金澤正剛 著「中世音楽の精神史」