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Antonio Stradivariの肖像⑤

まずはこの絵を見ていただきましょう。

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Graziano Bertoldi (1946- ) "Antonio Stdivari"

この絵はマッサロッティ(Angelo Masarotti 1653–1723)の描いた絵を元に、現代の画家ベルトルディが描いたアントニオ・ストラディバリの肖像です。

クレモーナの画家、グラツィアーノ・ベルトルディによるアントーニオ・ストラディバーリの肖像画。巨匠の顔は、クレモーナのサンタゴスティーノ教会にあるA・マッサロッティ(17世紀の画家)の油彩画の一部をもとにして再現された。

弦楽器製作に関する歴史研究家エリア・サントーロによれば、ストラディバーリは実際にこういう容貌であったらしい。

クレモーナにおける弦楽器製作の真髄 P. 54

では、マッサロッティの描いた絵はどんなものだったのか、見てみましょう。

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Angelo Massarotti (1653–1723) "Il beato Giorgio Laccioli mostra le regole agostiniane"

OLTRE STRADIVARI P. 96

この絵の左側から7人目、一番後ろにいる人物です。

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これかぁ・・・もう一列前だったらなぁ、って感じですが、面長な感じはわかります。

これがストラディバリであるとする根拠として、この絵に描かれているシーンである「聖アゴスティーノ修道院でのジョルジオ・ラッチョーリがアゴスティーノの規則を開示した」その時にストラディヴァリの出席があったことと、支援者の序列などから特定したようです。

ちなみにストラディバリとされている人物の向かって左斜め下2人目の人物がこの絵を描いたマッサロッティだそうです。

そして、この絵も本人の容貌を捉えていると言われています。

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THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS / Antonio Stradivari

これは7.5×5.5センチの小さな楕円形のメダリオンで、クレモナの古いピアノメーカーの創始者、ピエトロ・アネリのコレクションです。

上部には "Stradivario 1691 "と書かれ、下部には画家Gialdisiの署名がありますが、実際にはクレモナの画家Antonio Gianlisi(1671-1727)であろうと言われています。

本人が自分の名前を間違えるはずもなく、上下どちらの文字も筆跡が似ているので、後世の誰かが書き込んだと考えられています。

また、この絵を描いたとされるジァンリージは静物画は知られていますが、肖像画はこれ以外は知られていないようです。

ということは偽物かストラディバリではない可能性があるのですが、容貌はマッサロッティの絵に似ていますし、一応はアントニオ・ストラディバリの肖像として受け継がれてきたようです。

ストラディバリの容貌について唯一信頼できる記述は、ベルギーの音楽学者フェティ(Francois Joseph Fetis 1784-1871)が語ったものだと言われています。

フェティは ベルギー宮廷の楽長であり、ブリュッセル音楽院の院長でもありました。

彼は1856年に「Antoine Stradivari, luthier celebre connu sous le nom de Stradivarius」というエッセイを書き、その中でバイオリニストであり作曲家でもあるプニャーニ(Gaetano Pugnani 1727-1808)が「子供の頃に知っていたストラディヴァリをどのような人物だったか」を回想したポリエードロ (Giovambattista Poliedro 1781-1853)の証言を書いています。

Il était, disait-il, de haute stature et maigre. Habituellement coiffé d'un bonnet de laine blanche en hiver, et de coton en été, il portait sur ses vêtements un tablier de peau blanche lorsqu'il travaillait, et, comme il travaillait toujours, son costume ne variait guère* Il avait acquis plus que de l'aisance par le travail et l'économie ; car les habitants de Crémone avaient [tour habitude de dire : Riche comme. Stradivari.

Antoine Stradivari, luthier celebre connu sous le nom de Stradivarius P.76

彼は、身長が高くて痩せており、冬には白い毛織の帽子をかぶり、夏には綿の帽子をかぶり、仕事をするときには服の上に白い皮のエプロンを着ていたが、いつも働いていたので服装はあまり変わらなかったと言っていました。 彼は仕事と経済によって裕福だった。(クレモナの住人たちは「ストラディバリのような金持ち」と口癖のように言っていた。)

この本はストラディバリなどの製作家の研究を現地のクレモナで行ったヴィヨーム(Jean-Baptiste Vuillaume 1798-1875)から、多くの情報を得ているそうですので、プニャーニが語った思い出話をポリエードロがヴィヨームに話し、その情報を本にしているようです。

そのため、信頼できる唯一の情報が又聞きの又聞きという、なんとも頼りない情報ではありますが、上の2つの絵と総合して考えると、「長身で細身」ということは間違いなさそうです。

ということで、ベルトルディが描いた人物が、アントニオ・ストラディバリの肖像としては一番信憑性が高いと言うことになりそうです。

写真のなかった時代、肖像画というのは後世に先祖の容貌を残す唯一の手段でしたから、アントニオ・ストラディバリがクレモナでも有力なお金持ちだったのに肖像画を描かせなかったというのは、当時としては珍しかったのかもしれません。

しかし、フェティの本でも「服装はあまり変わらなかった」と言われているように、外見をあまりこだわらなかった人物だったようでもありますし、彼の残した楽器を見る限り生粋の職人だったことは疑いようのない事実ですから、肖像画などには興味がなかったのかもしれませんね。

出典・参考文献

Marco Vinicio Bissolotti著 川船緑訳 「クレモーナにおける弦楽器製作の真髄 Il genio della liuteria a Cremona」

Elia Santoro著 「OLTRE STRADIVARI」

Cremonaoggi.it / 31 maggio 2012 / Sono i volti di Stradivari e Guarneri del Gesù? All'asta per poche centinaia di euro due tavolette in legno del Settecento

THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS Items / Antonio Stradivari

Francois Joseph Fetis著 「Antoine Stradivari, luthier celebre connu sous le nom de Stradivarius」