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楽器の価格 -個人製作家-

 バイオリンが高いのは人件費が高いからなのですが、

 じゃあ、人件費が高いとなぜ価格が高くなるのでしょう。

 もし日本で製作したらと考えてみましょう。

 1日8時間労働だとして、バイオリンが出来るまで作業精度を低くして端折ったとしても、のべ日数は10日くらい必要だと思いますので、8×10=80時間。

 日本の最低賃金はだいたい1時間¥1000くらいですから単純計算で¥80,000となります。

 これは訓練を受けていない人がもらえる最低賃金ですが、専門技術を持った人ならもっと高額になります。ちなみに、技術が低い人では2倍どころか作業によっては10倍以上作業時間が必要になりますので、のべ10日で完成させると演奏できるバイオリンにはならないでしょう。

 しかもこれは設備投資や工場維持費、材料費、経理や営業の人件費なども含まない上に「仕入れ値」です。実際にはこれに加えて仕入れ値の数割かを上乗せして店頭に並びます。

 どうですか?なかなか高額になりますね。

 でも、楽器を作った作業員は決して高い賃金をもらっていませんよね。

 本当の工場では作業の効率化や機械化が進んでいる上に、多人数で各作業を分担するので専門技術は限定的で容易、つまり賃金における技術料は低く出来ます。その上賃金の低い地域で製作されているので、もっとコスト削減出来るでしょう。

 それでも末端価格が数万円の楽器がどれだけ作業精度を削減して製作しているのかがわかって頂けると思います。

 それでも、個人製作家の楽器は100万円前後するのは高いのではないかと思うかもしれません。

 じゃあ、なぜ個人製作家の楽器が高いのか。

 これも間違いなく人件費が高いからなのですが、それでも工場製品と比べれば高いです。

 なぜなら、高度な技術を持っている製作家が賃金の高い地域で楽器を作っているからです。

 じゃあ、なんで賃金の高い地域で製作するのか。

 個人製作家のいる地域はヨーロッパ、とりわけイタリア・フランス・ドイツ・イギリスなどですよね。他にも日本や韓国、そしてアメリカ合衆国など、いわゆる先進国が圧倒的に多いです。

 これは、高度な技術を学ぶためにはそれなりに裕福な人でないと学べないといった背景があります。

 「え!じゃあ製作家はお金持ちなのか?」

 と言うと、私を含む製作家たちの住む先進国地域ではそんな事はありません。

 しかし、世界規模で見ると間違いなくお金持ちの人たちです。

 なぜなら、バイオリン製作を教えている製作学校がある国はイタリア・フランス・ドイツ・日本・アメリカ合衆国など、物価の高い先進国に偏っているからです。

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濃い赤色になるほど物価が高い国(2017年)

 つまり、物価の高い地域で数年間の学生生活をする経済力がないとバイオリン製作の方法を学ぶことが出来ないからです。その上、各国からそこで学ぶ学生がやってきますが、彼らは卒業した後にどこで製作をするかと言うと、そのままその地域で活動するか、先進国から来た人は自国に帰る人が圧倒的に多いのです。その他の国に行くにしても、求人需要のある国は結果的に物価の高い国になります。

 アルゼンチンなどの比較的所得の低い国から来ている人もいますが、彼らは自国に帰ると今いる国より稼げないことを知っていますので、自国に帰ろうとしません。

 (アルゼンチンはもう低所得と言えないでしょうが)

 また、学校によって違いますが入学に必要な最低学位があり、教育レベルがそれなりに高くない国の出身では入学すらできない場合があります。

 クレモナの学校では高校卒業程度の学力があることを申請して証明すれば受講を免除される科目があるのですが、イタリアでの留学時代で中国人の同級生は大学を卒業していたにもかかわらず免除されませんでした。国同士で学力が同程度であることを証明する取り決めが出来ていないと免除出来ないという理由のようでした。(現在は違うかもしれません)

 以上の例のように、中国でさえこのようなことがあるのですから、それよりも発展していない国からの入学は難しい場合があるのです。

 「いやいや、製作家の弟子になればいいやん」と思うかもしれませんが、まず師匠が経済力がないとバイオリン製作を学べませんからそもそも論になりますし、上述のように自国へ帰ることもまずありません。また、他国の製作家が住んでいる国は同じ様に物価の高い国ですから、個人的に彼らに学ぶにしても同じように物価の高い地域で数年暮らすことには変わりありませんし、給料も生活できるほどにもらうにはそれなりに技術を持った人でないと無理ですので、全く技術の無いものがいきなり飛び込みで就職することも難しいです。

 「情報が簡単に手に入る現代なら独学でも行けるんちゃうん?」とも思うかもしれませんが、以前バイオリン製作家になるためにはでお話したように、製作家の助言なくしてバイオリンは作れません。全く助言の無い中で作った楽器はバイオリンと呼べるものにはならないでしょう。

 このような理由で「発展途上国にバイオリン製作技術を伝えたい!」などの特別な意思が無い限り、個人製作家は人件費の高い地域で作ることになるのです。

 そのため、楽器が高額になるのは上述の日本での例が実際に適用されるわけです。

 これも単純計算してみましょう。

 バイオリンを一挺製作する期間はだいたい2カ月必要ですが、ニス塗り時は一日に出来る作業時間が限られるので、他の楽器を重複して製作しているのが一般的です。なので、のべ1.5カ月必要と考えればいいでしょう。

 工房の家賃を1LDK相当の間取りの全国家賃相場から見て6万円とすると、6×1.5=9万円

 水道、光熱費が「一人暮らしの人の平均光熱・水道費は約1万3,800円」ということですから1.5カ月で大雑把に2万円、つまり工房維持費が11万円となります。

 日本では材料はなかなか手に入れにくく、良いものを手に入れようとすると弦やフィッティングパーツを含めたら総額10万円でも難しいかもしれませんが、10万円で。

 営業などの人件費は含まないとしても、一般的に小売業者に委託した場合は2割、販売した場合は3割以上のマージン(販売額と仕入原価との差額)が発生しますので、2割として20万円。

 以上をまとめて、

 販売価格(100)ー工房維持費(11)ー材料費(10)ーマージン(20)=59万円

 1.5ヶ月=6週間=30日、1日8時間労働として8×30日=240時間

 59万 ÷ 必要作業時間(240)= 2458.33…

 つまり、この単純計算では製作家の時給は2500円くらいとなります。

 これを基に年収換算すると

 4週間(20日)×12カ月×8時間=20×12×8=1920(一年の労働時間)

 時給×1920=2500×1920=4800,000 480万円です。

 楽器の数でいくと 59 × 8= 472 ですから年間8挺くらい売ってる想定になります。

 平均年収ランキングによると30代が442万円、40代が507万円ですのでその中間あたりですね。

 しかし、この計算では長期休みは取っていません。それに東京などの首都圏では工房維持費がもっとかかりますし、小売店に払うマージンももっとある場合があるでしょう。

 この計算で行くと40代には1挺100万円以上で販売しないと平均以下の収入になってしまいますね・・・頑張ろう。

 このように人件費の高い地域で高度な技術を持った職人が1.5ヶ月ほどを費やして楽器を作るのですから、工場大量生産品と比べたら何倍にも高価になるのは当たり前で、100万円前後したとしてもその職人の収入はその地域の平均程度である事を考えると、過剰に高価なわけではないのです。

 そして、製作家はほぼ例外無く高度な技術や理論を持って製作を行っていますから、ただ言われた事を行うだけで作り上げる工場大量生産楽器に比べれば、個人工房製の楽器は製作精度も音に関しても断然良くなるのは当たり前なのです。

 でも、個人製作家の新作楽器で人気のある名人の手によるものだったら100万円どころか、場合によっては300万円くらいする場合もありますよね。

 これはもうカバンなどと同様のブランドによる付加価値としか言いようがありません。

 手工芸バイオリンの場合、ほしい人が多くなったとしても製作精度を落としてまで生産数を極端に増やすことはしません。結果、ほしい人すべてに商品が供給されないなら、より多く払える人がたくさん払って楽器を要求するようになり、バイオリンの価格は上昇してしまうです。

 製作精度を落とさないと言いましたが、1年に20本以上製作しているマエストロも実際にいます。でも、それは決して製作精度を下げているわけではありません。弟子に下仕事をさせて、楽器作りの大事な部分はマエストロ自身が行い、彼らしい楽器を作り出しています。

 良い例がアントニオ・ストラディバリです。彼の作った楽器は現存しているもので600挺、失われたものを含めたら1000挺ほど作ったと言われていますが、電動工具もない時代でたった一人の一生ではそんな数の楽器を作り上げることは到底不可能です。つまり、弟子や息子に下仕事をさせていたことは間違いないのですが、現存している楽器はすべて彼らしい素晴らしい作品になっています。

 最後に「製作家から直接買ったらマージン分を割り引きしてくれるか」と言われたらそんなことは無いのが一般的です。

 なぜなら、そんな販売方法をしてしまうと小売業者に今後買ってもらえなくなるか、それ以降はマージン分を差し引いた額を販売価格にされます。つまり先ほどの例なら100万円ではなく80万円を販売価格にされ、80万円からマージンが取られることになりますので、売れば売るほど価格が下がり赤字になります。

 そういった事から、直接販売をしていない製作家もいます。

 次回は楽器選びについてのまとめをしていきたいと思います。