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バイオリン弦の歴史

16世紀にバイオリンは生まれましたが、初めはバイオリンの弦といえば羊の腸をよじって作った裸のガット弦しかないのが当たり前でした。

当時はメーカーも個人工房で職人が作るものしかなく、特に弦を一定の細さに削る作業が手作業だったために均一な細さが作られず、5度を取るのが難しい弦も少なくなかったと言われています。その上、天然素材ですからメーカーによって素材の品質や太さにもばらつきがありました。

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Recueil de Planches,sur les sciences,les arts libéraux,les arts méchaniques,avec leur explication(百科全書 図版集)

17世紀半ばに銀や銅を使った巻線が発明され、低音弦を細くすることに成功します。

これによって低音楽器の音量・音質の発展に貢献したと思われます。

この巻線技術によって弦のバリエーションは大きく飛躍することになりました。

その後、徐々に弦の生産は工房による家内制手工業から大規模工場へと変わっていきます。

その中でも1798年にイタリア人のジョルジォ・ピラッツィ(Giorgio Pirazzi)によって、後の2大メーカーのひとつである「ピラストロ(Piastro)」の前身となる「Giorgio Pirazzi & figli」という弦メーカーが現れます。

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ジョルジォ・ピラッツィは1766年にスイスとの国境に程近いイタリアのドモドッソラ(Domodossola)で生まれ、14歳の時にナポリとローマの弦工のもとで弦の製造技術を学んでいます。

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ドモドッソラの位置

見習い期間を終えたジョルジォは、マッジョーレ湖のほとりにある自宅に戻り、フランクフルトに移住して成功したイタリア人の家族と出会いました。彼らの招待に応じてフランクフルトに休暇に行き、そこが気に入ってドイツに定住することにしたのですが、ここでの事業はうまく行きませんでした。

最終的にはオッフェンバッハの裕福な地主からの招待を受けてその土地に工場を設立し、自分の技術を追求することになります。

彼の事業は着実に成長し、1890年代には創業者の孫であるグスタフ・ピラッツィが友人のテオドール・ストローベルをビジネスパートナーとして招き、この時に二人の名前の最初の4文字を組み合わせて、ピラストロ(PIRA-STRO)が誕生します。

特にピラストロ社の自動研磨機の開発は業界に革新を起したと言われます。

この機械により弦の細さが均一になり、5度が取りやすくなりました。

1914年、第一次世界大戦が勃発します。

当時は傷口の縫合には一般的に動物の腸を使用していたので、戦争により多くの傷病者が発生して羊の腸が縫合糸として大量に使用されるようになると、多くの弦工場が縫合糸生産に転換しました。

実は現在でも動物の腸を原料とした縫合糸は製造されており、一部の地域では使用されています。しかし、BSE(牛海綿状脳症)の発症原因となる懸念から、日本やヨーロッパなど多くの国では使用は禁止されています。

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Catgut suture(腸線縫合糸)

縫合糸の大量需要によりバイオリン用ガット弦の材料が不足するようになったのを受けて、バイオリン用スチール弦が登場し学生やアマチュア演奏家に定着するようになりました。

実は金属製の楽器用弦は歴史が古く、14世紀にはプサルテリオン(Psalterion)という小さな琴のような楽器に使用されていました。

その後、チェンバロからピアノフォルテに至るまで使用されてきており、19世紀には現在のようなピアノ線が発明されています。

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プサルテリオン(Psalterion)

しかし、スチール弦はバイオリンには長らく使用されてきていませんでした。戦争でのガット弦の原料不足がバイオリン用スチール弦を一般化するきっかけとなったのです。

戦争でスチールワイヤの加工技術が向上したこともあり、1920年頃にはスチール弦はプロも使えるほどの品質に達しましたが、第二次世界大戦頃までは「プロはガット弦を使用するのが当たり前」という風潮だったようです。

ただし、カール・フレッシュは「ヴァイオリン演奏の技術」(1923年)でスチールのE線のメリットについて「スチール弦では弦の交換が1週間に1回で済むようになる」と書いています。つまり当時でもガットのE線弦は1週間に何回も交換する必要があるほど耐久性に問題があったわけです。そのため、同書ではオーケストラの団員にはコストの面でスチールのE線弦を勧めています。

現在、ガットのE線弦はバロックバイオリンなどの古楽を演奏する方たちが主に使用していますが、古楽ではA=415Hzなどで調弦するため弦の張力は弱くなるので十分耐えられますし、弦の加工技術も昔と比べて向上しているので簡単には切れなくなりました。

さて、現在バイオリンではE線以外の3本は今やナイロン弦が主流になっています。

その最も売上を出している弦がトマスティック・インフェルト社が製造している「ドミナント」と呼ばれる弦であるのは皆さんも御存知のとおりです。

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このドミナントが作られたのがナイロン弦の始まりの歴史でもあります。

1914年、オーストリアのフランツ・トマスティック博士(Franz Thomastik)がスチール弦の特許を取得、1919年にオットー・インフェルト(Otto Infeld)と供にトマスティック・インフェルト社を設立し、1926年には4本セットのスチール弦を発売しています。

この様にトマスティック・インフェルト社は当初はスチール弦の発売を始めますが、上記の通り演奏家にはなかなか受け入れてもらえず、今のようなバイオリン弦を代表する会社ではありませんでした。

第二次世界大戦で工場は破壊されましたが、戦後すぐに立て直して1958年には細いスチールの糸をより合わせて作った「スピロコア」を発売しました。

この「スピロコア」は現在でもチェロのG・C用に人気のスチール弦です。

そして1970年、「ドミナント」を発売しました。

その後、ピンカス・ズーカーマンとイツァーク・パールマンがこの弦を使用したことをきっかけに、バイオリンの弦はガットからナイロンへと勢力図が大きく変わることとなります。

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Itzhak Perlman

現在はこのドミナントがバイオリンの標準弦として認知されており、この弦を基準として様々なブランドの弦の特徴を語るのが一般化しています。

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ReferenceGuide - Violin Strings

ドミナントを中心(基準)として他の弦がどのような特徴があるかを図で示している

現在は各弦メーカーが新素材による新たな弦の開発にしのぎを削っており、毎年のように新たな弦が生み出されています。

それでも、演奏家の中にはガット弦の音色を好む人が一定数いるので、ナイロン弦が主流とはいえ、ガット弦もまだまだたくさん使用されています。