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クレモナの伝統的な工法④

ストラディバリが行った工法の証明

 「ストラディバリの技術を持ってすれば、バロックスタイルのバイオリンを作るのにCassa Chiusaである必要がない」と前回お話しました。

 「じゃあ、ストラディバリがCassa Chiusaで作ったかどうかははっきりと言い切れないじゃん」

 と思ってしまいますが、違う視点のアプローチから攻めると、はっきりと「ストラディバリはCassa Chiusaで作った」ことが証明できます。

 今までの考え方が歴史的な状況証拠からのアプローチなら、今回の方法は実際に存在する楽器の製作跡という物的証拠からのアプローチです。

 まずはこの写真を御覧ください。

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 この写真はクレモナ市の所有しているバイオリン「il Cremonese 1715」の裏板です。

 注目して頂きたいのはネックの付け根にあるボタンの真下です。パフリング(黒の細い装飾)で分断された何かがあるのがおわかり頂けますか?

 あれは響板とブロックの位置がズレないようにする「木釘」です。

 まさに、あの「木釘」がストラディバリがCassa Chiusaで製作している動かぬ証拠なのです。

 この「木釘」はブロックと響板のズレを防ぐために打っています。特に前回お話した横板を変形させてでもネックを中心に向かわせる時に、楽器の中心線からブロックがズレるのを防ぎます。

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ネックを中心に向かわせるための横板の変形の例

矢印のところが木釘の打ってある所

 そして、前述のようにパフリングで分断されているということは、木釘が打たれてからその上にパフリングを入れる作業をしているということです。

 具体的にどういうことなのか、Cassa Chiusaでの製作方法を順を追って説明します。

(木釘を打って、響板と横板を接着するところまでしている想定:右側の図は中心線の断面図)

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 ↑ 縁を成形します。

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 ↑ パフリング用の溝を、縁を基準に掘ります。

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 ↑ パフリングを埋め込みます。

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 ↑ パフリングの上を彫って縁をきわ立たせます。

 これで木釘がパフリングで分断される工程はわかりました。

 では、なぜCassa Chiusaでないとこの様にならないかと言うと、逆にCassa Apertaで木釘を打つとどういう風になるかを考えるとわかります。

 Cassa Apertaでは箱になる前にパフリングを入れてありますので、横板との接着前は以下のようになっています。

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 そこに同じ位置に木釘を打つとこうなります。↓

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 これでは木釘がパフリングを分断していますので、写真の様にはなりません。

 では、木釘を打ってからパフリングを入れてみたら・・・

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 ↑ ここまでは良いのですが・・・

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 ↑ この時に出っ張った木釘が邪魔で、思うように溝が掘れません。

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 ↑ また、パフリングを入れるこの作業の時にはパフリングを金槌で叩いて打ち込むようにして溝に入れるのでこの時も木釘が邪魔になります。(というより木釘が折れるでしょう)

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 ↑ そしてこの作業の時も丸鑿で彫ったり小さな鉋で彫ったりしますので、出っ張った木釘が邪魔になります。

 そして特にこれが重要なのですが、もし木釘を打つにしてもパフリングで分断されるこの部分である必要は無いのです。

 なぜなら、ストラディバリは故意にパフリングで分断されるところに木釘を打っていたわけではなく、たまたま木釘がパフリングで分断される所に打った楽器があるだけだからです。

 事実、同じ楽器「il Cremonese 1715」で、裏板下部の木釘はパフリングを分断していません。

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「il Cremonese 1715」の裏板下部:木釘はパフリングで分断されていない

 つまりストラディバリは木釘をパフリングで分断する必要は無かったわけですから、もしCassa Apertaで作ったなら、木釘をパフリングで分断する様な難しいことをあえて行う必要も無いですし、やっても意味がないのです。横板との接着作業の直前にパフリングを避けた所に木釘を打てば良いのですから。

 もしCassa Chiusaで作ったなら、その作業工程で木釘がパフリングに分断される事があったとしても、それは自然なことですから変なことではありません。あえてそうするつもりがなくても、そうなってしまう場合があるわけですから。

 以上のことから、木釘がパフリングで分断されている事がCassa Chiusaで作った決定的証拠になるわけです。

 さて、ここまでをまとめると、クレモナの伝統的な工法とは

 内型を使ってCassa Chiusaで製作する

 という事になります。

 私は「クレモナの伝統的な工法①」で、「ほぼ、ストラディバリと同じ方法で作っています。」とお話したとおり、内型を使ってCassa Chiusaで作っています

 これは、クレモナで「Cassa Aperta・Cassa Chiusa」「外型・内型」それぞれを学んできて、クレモナの伝統的な方法とはなにか、クレモナで学んできた意味はなにかを考えた時に、

 「ストラディバリの工法に近い作り方をするべき」だとたどり着いたからです。

 それは、私の恩師であるWanna Zambelliへの敬意でもあり、さらにその師匠であるFrancesco Bissolottiと、さらにその師匠であるSimone Fernando Sacconiへの畏敬の念でもあります。

 クレモナで300人以上いる製作家の中で、Francesco Bissolottiが「現代のストラディバリ」と呼ばれるのは、彼がCassa Chiusaで作り続けているからなのだと私は確信しています。

参考文献

 Eric Blot Edizioni Simone Fernando Sacconi著 「THE "SECRET" OF STRADIVARI」

 Fondazione Museo del Violino Cremona 「il Cremonese 1715 300° ANNIVERSARIO」

 追記(2月2日):訃報、フランチェスコ・ビッソロッティ氏 死去(享年89歳)。

 上記でお話した私の尊敬する製作家の一人、フランチェスコ・ビッソロッティ(Francesco Bissolotti)が2019年1月31日に亡くなりました。4月2日が誕生日でしたから、90歳まであと少しといったところでした。

 彼はサッコーニ氏とともにストラディバリの遺品を研究した人物で、ストラディバリの製作した方法であるCassa Chiusaで作り続けた数少ない製作家です。

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 彼は1929年4月2日、クレモナ県の小さな町ソレズィーナ(Sorezina)に生まれました。興味深いことに、彼はバイオリン製作家を目指す前に、彫刻や寄せ木・象嵌細工の職人として仕事をしていました。この頃に音楽やバイオリン演奏を学んだことで、彼は情熱をバイオリン製作に傾ける事になったようです。

 ちなみにバイオリン製作の巨匠でありながら、彫刻・寄木細工を趣味としていて、彼の工房の天井やドア、壁の飾りなどは、素晴らしい彼の作品で埋め尽くされていました。また、アマチュア演奏家としても優れた腕を持っていました。

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ビッソロッティ工房の天井

 彼は製作家となるためにクレモナのバイオリン製作学校に入学したのですが、当初は外型の製作方法を学んでいました。それはクレモナのバイオリン製作が衰退し、伝統的な製作方法が忘れ去られていたため、イタリアの製作家でも外型での製作方法を採用していた人がほとんどだったからでした。当然、学校で教鞭に立ったピエトロ・ズガラボット(Pietro Sgarabotto)、ジュゼッペ・オルナーティ(Giuseppe Ornati)、フェルディナンド・ガリンベルティ(Ferdinando Garimberti)といった一流の製作家であっても、彼らから教授されたのは外型方式でした。

 彼が内型とCassa Chiusaに出会ったのはシモーネ・フェルナンド・サッコーニ(Simone Fernando Sacconi)に出会って、ストラディバリの遺品を共に分類・修理・整理した時でした。その時から彼は今までの製作方法を捨て、ストラディバリの製作方法であるCassa Chiusaを行うようになります。

 後に彼はこう語っています。

 「わたしがクレモーナの偉大な製作者たちの方法ー内枠ーに従って楽器を作る大切さがわかったのは、あの博物館の中にいた時であり、あのような経験と知識を通してである」

 彼は母校であるバイオリン製作学校で教鞭を取り、その情熱を彼の息子も含めた弟子たちに余すことなく教えました。

 サッコーニ氏の死後、彼はクレモナの伝統的な製作方法を広めるための活動を弟子と共に精力的に行うなど、その啓蒙・普及活動にも力を入れましたが、効率的な外型方式を行い続ける製作家も少なくなくありませんでした。私が知る限りでは、クレモナの製作家でCassa Chiusaで製作を行い続けている製作家は、残念ながらそれほど多くはありません。

 アントニオ・ストラディバリは生まれた年が確定されていないため、享年は88~95歳くらいだと推定されています。フランチェスコ・ビッソロッティも89歳と同じ様な年齢まで製作を行い続けたところも、「現代のストラディバリ」の面目躍如といったところです。

 今後は残された彼の直弟子である息子たち3人が、意志を継いで末永くビッソロッティ工房を守り立てて行くことでしょう。

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ビッソロッティ ファミリー

 私も僭越ではありますが、彼の孫弟子として意志を受け継いでいけたらと思っています。

 極東の小国から、マエストロ フランチェスコ・ビッソロッティのご冥福を心よりお祈りいたします。

 参考文献

 Marco Vinicio Bissolotti著 川船 緑訳 Novecento出版 「クレモーナにおける弦楽器製作の真髄」