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クレモナの伝統的な工法③

Cassa Chiusa

 さて、今回はストラディバリが行っていた工法、「Cassa Chiusa」についてお話します。

 Cassa Chiusa(カッサ キウーザ)とは日本語で「閉じた箱」という意味です。

 「なんじゃらほい?」

 と思われるでしょうから説明します。

 バイオリンの共鳴胴(箱の部分)の事をイタリア語で「Cassa Armonica」(カッサ アルモニカ:直訳で「倍音の箱」)と呼びます。ここから「Cassa」とはこの略なのがわかります。

 で、製作工程の中で響板(表板、裏板)を横板と接着して、文字通り「箱」にすることを「Chiusura」(キウズーラ:名詞「閉じること」)又は「Ciudere」(キウデーレ:動詞「閉じる」)と言います。このことから、「Chiusa」(キウーザ:形容詞「閉じている」)とは響板と横板が接着された状態のことを言います。

 以上をまとめて、「Cassa Chiusa」とは「響板と横板が接着された共鳴胴」を意味します。

 「そんなこたぁ大体分かるわぁ」

 御説ごもっとも。

 言葉だけではなく、それを指す意味ですよね。

 ところで、「Cassa Chiusa」には対になる言葉で「Cassa Aperta」(カッサ アペルタ)があります。「Aperta」は「開いている」という意味です。

 まあ、「閉じた箱」「開いた箱」と、そのまんま対になっているわけですが、それぞれを説明するとどういう意味かわかって頂けると思います。

 Cassa Chiusa

 少し大きく切り出した響板と横板を接着してから、横板を基準に響板の縁を整形してパフリング(縁周辺の装飾)を埋め込むといった工程で行う製作方法。

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Cassa Chiusaの行程の一つ:箱の状態でパフリング用の溝を掘っているところ

 Cassa Aperta

 内型についた状態の横板(外型の場合はテンプレート)を基準として響板をほぼ完成させて(つまり縁とパフリング工程を行って)から、横板に接着するといった工程で行う製作方法。

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Cassa Aperta:表板・裏板をほぼ仕上げてから横板と接着する(接着する前にパフリングが入っている)

 つまり、縁とパフリング工程の作業を箱にしてから(Cassa Chiusa→閉じた箱 で)行うか、箱になる前に(Cassa Aperta→開いた箱 で)行うかの違いです

 なぜストラディバリがCassa Chiusaで作っていたと言えるかというと、ネックが付いた横板を響板と接着する時に融通が利くCassa Chiusaという方法が、ニコロ・アマティを含めたクレモナ派の製作方法だったからではないかと推察できるからです。

 具体的にCassa Chiusaで「融通がきく」とはどういうことか説明すると。

 ネックを横板に付ける時、内型を外して釘で固定しますが、必ずしもネックが楽器の中心に向かって取り付けられるとは限らないのです。もちろん理想としては​前回説明した様にネックが楽器の中心に向かっているように固定しないといけませんが、慎重かつ高精度な作業が必要になります。

 そこで、ネックが付いた横板を響板と接着するときに、横板を変形させてでもネックが楽器の中心に向かうようにして横板と響板の接着をする必要があります。

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赤色の線が変形前、黒色の線が変形後

 上図の例では最大1mm弱のズレが発生しています。大した差ではない様に感じると思いますが、横板から縁までの距離はスタンダードで2.5mmほどですから、40%近くのズレが発生していることになります。

 そして、横板を変形させて接着していたとしたら、響板の糊代部分と横板との接着部分が接着する前の横板を基準にする形とズレる可能性が出てきます。つまり、すでに縁を仕上げていたとしたら、横板と縁までの出っ張っている距離が均一な距離に出来なくなります。それどころか、ズレがひどい場合は横板が縁から飛び出したり、内側に入りすぎて隙間が空いてしまう様になります。

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ひどいズレの例(断面図)

 上図は極端な例です。左側は糊代から極端に内側になってしまい、隙間が空いてしまっています。右側は辛うじて糊代に付いてはいますが、縁からははみ出しています。

 実際のところはここまでズレるということはまず無かったでしょうが、もし0.5mmのズレ(20%のズレ)であったとしても素人目で見てはっきりとズレがわかります。ましてや「バイオリンと16世紀頃の北イタリア」でお話したように、クレモナの楽器職人たちは製作精度や美観を重視していたはずですので、こんなズレを許せる職人は少なかったはずです。

 以上の事から、横板を接着した後に縁を決めるCassa Chiusaの方が横板が変形していても融通が利き、予定していた形からは若干変形があるものの、ある程度美観を損なわずに完成させることができるので、「クレモナ派の製作家が当時はこの方法で行っていた」と推察出来るのです。なお、装飾のパフリングは「縁から内側何ミリ」といった感じで縁を基準に作るので、必然的に縁を決めてからでしか行えません。

 ただし、ストラディバリはその中でも群を抜いた素晴らしい精度で楽器を作っており、融通が利く必要がほぼ無かったようです。それは何故かと言うと、以下の写真を見て頂くとわかります。

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 これはクレモナ市所有の「il Cremonese 1715」という楽器の裏板の写真に、この楽器を作る時に使われたとされている内型「Forma G」の写真を重ねているものです。見てのとおり、全くズレがありません。型と楽器がズレていないということは、「横板を変形させていない」と言えるので、ネックは横板に完璧にまっすぐ取り付けてあったはずです。

 ストラディバリの技術ならCassa Chiusaで作らなくても、バロックスタイルの楽器は完璧に作れたはずです。では、なぜCassa Chiusaで作ったと推測出来るのか。

 実はバイオリンの製作工程をよく知っている人物なら、楽器をよく観察すれば「99%ストラディバリはCassa Chiusaで作っていた」ことが証明できます。

 次回はその証明についてお話したいと思います。

 参考文献

 Eric Blot Edizioni Simone Fernando Sacconi著 「THE "SECRET" OF STRADIVARI」

 A BALAFON BOOK 「the Violin Book」

 Fondazione Museo del Violino Cremona 「il Cremonese 1715 300° ANNIVERSARIO」