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大量生産楽器と手工芸楽器

 個人製作家が作った楽器はストラディバリウスに匹敵するものがある可能性が高いのはなぜか。

 まずはその前に、大量生産楽器と手工芸楽器の違いについて見ていきます。

  1. 工場大量生産製品

 楽器製造工場で複数人が分業で各工程を担当し最終的に楽器になっていく製造工程で行っています。機械の導入程度はその工場によってまちまちで、「工場製」であっても全て手作りで行っているものもあります。

 全て手作りでも、「工場製品」はあくまで「工場製品」であり、価格設定は材料費、人件費、工場維持費、広告宣伝費、利益等々から計算して算出しています。つまり、楽器以外の一般的な製品と大きく違いはありません。安いものは1万円程度から、高価なものになると100万円近いものもあります。価格の違いがあらわれるのは、材料費や「どれだけ時間をかけて丁寧に作業するか」といった人件費の違いです。(コストベースでの価格設定です)

 この楽器に対する総合的な責任はメーカーの社長などが負いますが、技術的なことは社長はわからないことが多いので、工場長などが技術の責任を持って行います。しかし、たとえ上級者向けに高品質で作っているとは言っても、各職人は楽器の一部のその作業だけにしか責任を持っていないため「こうすればもっと良くなる」と思う職人がいたとしても、その改善は行われることは稀です。もちろん、常に改善努力を怠っていない企業もあります。特に日本の工場は私が見る限りそういった企業努力を惜しまない企業が多いです。しかし、低価格、大量生産を目指している以上、「こんなもんでいいだろう」という意識に流れてしまいがちでもあります。つまりその責任とは「決められた品質以下にしない」責任です。

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Maison Laberte Hunbert Freresの組み立て工場:1900年頃/Mirecourt

この工場の生産ラインでは300名余の労働者が働いていた。

  1. 個人製作家の手工芸製品

 楽器製作工房で弦楽器製作家が材料選びやデザイン等を含め、始めから最後までを一人の職人、または弟子を含む数人で製作する方法です。こちらも電動工具を使う職人もいれば、全て手工具で行う職人もいます。

 こちらも製造業の範疇ですので材料費、人件費、工房維持費、広告宣伝費、利益等々から計算して算出していますが、大体100万円前後の価格が多いです。一つの楽器を製作するのに2ヶ月位かかりますので、「その期間、その職人を雇う価格+必要経費」と見るとわかりやすいかも知れません。

 しかし、世界的な名人の作品ともなれば、新作でも200万円、300万円は当たり前の世界です。それは日本の人間国宝の方が作った伝統工芸品と同じで、その値段を出してでも欲しい人がいるからです。(もちろんバイオリンは伝統工芸品です)そういう意味では需要と供給といった経済原理そのものです。(この場合はバリューベースの価格設定になります)

 出来上がる楽器は職人(親方)の責任の下に作られます。この責任は親方の「こうすればもっと良くなる」といった改善意識が直接その楽器に反映し、以後も親方が必要と思うなら継続し、更に向上していきます。それは「常に最高の品質を目指す」責任と言えます。

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クレモナ滞在中、マエストロの工房での作業風景

マエストロの理論に基づいて裏板の厚み出しをしているところ。

 以上がそれぞれの違いです。

 その責任の度合や一貫した製作工程による統一性から、たとえすべて手作りであったとしても工場大量生産製品は手工芸製品を越えられません

 具体的にはどういうことか。

 「バイオリン」というある程度形に制約のあるものは個体差や個性といったものは顕著には出てきません。しかし、各部の小さな差はそれらを集めると大きい差になって現れます。

 個人工房製品では一人の職人による統一した理論の下にそれぞれの方向性をまとめて大きくしていきます。例えば、響板のこの部分は材料の密度があるので厚みを薄くするだとか、それに合わせてバスバーの圧力を若干変えるだとか、単純に数値化出来ない事や数値化出来る部分も含めて、それぞれを積み重ねて大きな差にしていくわけです。

 つまり、一人の考えの下に「常に最高の品質を目指す」ので、「塵も積もれば山となる」のです。

 しかし、工場大量生産製品は数値化出来る部分は厳密にできたとしても、材料の密度などといった不確定要素は考慮に入れません。また、多くの職人がそれぞれバラバラに作ったものを一つにするため、統一した方向性が無く(あるいはあったとしても見過ごされ)、本来なら良くなっていたかもしれない部分も打ち消し合ったり、無駄になったりしているのです。

 つまり、多くの人が「決められた品質以下にしない」ようにするだけなので、「船頭多くして船山に上る」ようになってしまいます。

 これが工場大量生産製品の手工芸製品を越えられない壁なのです。

 そのため、工場大量生産製品は100年後残っていたとしても骨董価値はほとんど上がりません。(楽弓は例外として骨董価値が上がります)物価の上昇があるので、見かけ上は価格が上がりますが、物価の価格比率で見ると殆ど変わることがない、または下がっていくのが工場大量生産製品、または低品質な楽器です。ただし、親方が怠惰な人物で、改善意識が全く無く、低品質な楽器しか作られない、つまり「常に最高の品質を目指す」責任を放棄しているなら、手工芸製品であっても「価値」はいくらでも落ちることになります。

 対して、品質の良い個人製作家の手工芸製品は骨董価値が上がります。ストラディバリウスを見てもらうとわかりますが、どう考えてもストラディバリが当時の物価で1億円以上の価値で楽器を販売していたはずはありません。現存するのが600挺ほど、当時は1000挺を超えて製作していただろうという試算もあるわけですから、それらすべてがそんな高価な価格だったら、ストラディバリは間違いなく貴族になっていたはずですし、常識的に考えてそんなにたくさん売れるはずがありません。

 単純にこのような違いがあるために、大量生産製品は手工芸製品であるストラディバリウスにかなわないわけですが、現代の手工芸製品がストラディバリに匹敵するこれだけではない理由が他にもあるのです。

 次回はその事について、お話します。

 出典・参考文献

 The STRAD 2008年5月号

 The STRAD 2014年8月号