前回紹介した研究結果から、ストラディバリが使用した楽器の材料は「とても良い材料を使用していた」、「または良い材料になった」ことを証明してきました。
しかし、それは当時の材木事情を証明したことなので、ストラディバリウスだけのことではなくクレモナで18世紀に製作された楽器すべてに言えることなのです。
つまり、言い換えれば「クレモナで18世紀に製作されたすべての楽器(バイオリン)はとても良い材料を使用していた、または良い材料になった」となります。
つまり、これはストラディバリウスに秘密があったという差別化にはなりません。
良い音が出る楽器の秘密が材料に大きく依存するならば、ストラディバリウス以外の18世紀に製作された楽器も同様に良い音がしなくてはなりません。
しかし、世間の評価はデル・ジェズを除いてそんな事はありませんよね。
では、世間の評価として、これまでストラディバリウスとその他の楽器がどのような差をつけられたか、わかりやすい例として過去のオークションでどんな価値をつけられたか、同時代の落札価格をそれぞれ比べて見ていきたいと思います。
___
アントニオ・ストラディバリに最も近い人物として、まずは彼の息子たちを見てみましょう。彼の子供は11人いましたが、そのなかで楽器製作を行ったのは2人だけです。そのフランチェスコ(Francesco)とオモボノ(Omobono)が作ったとされる楽器が数挺残っています。
そのなかで最も高値をつけたバイオリンは以下の通り。
- フランチェスコ・ストラディバリ $36,045、当時の日本円で約1000万円( 1974年4月)
- オモボノ・ストラディバリ $370,000、当時の日本円で約4100万円( 2005年12月)
ではアントニオの師匠であるニコロ・アマティ(Nicolo Amati)の作品は?
- ニコロ・アマティ $654,588 当時の日本円で約6700万円(2013年5月)
Nicolo Amati 1682
アントニオ・ストラディバリと同じニコロ・アマティの弟子で、グァルネリファミリーの始祖であるアンドレア・グァルネリ(Andrea Guarneri)の作品は?
- アンドレア・グァルネリ $542,297 当時の日本円で約5800万円(2014年10月)
彼らの作った楽器はアントニオ・ストラディバリが作ったものよりも1/4から1/5ぐらいの価値しかついていません。
そしてアントニオ・ストラディバリの一番弟子と目されているカルロ・ベルゴンツィ(Carlo Bergonzi)の作品は?
- カルロ・ベルゴンツィ $1,001,384 当時の日本円で約1億4千万円(2005年12月)
アントニオ・ストラディバリ $2,032,000、当時の日本円で約2億1千万円( 2005年4月)
さすが一番弟子と目されるだけはあって、息子たちよりも評価が高いです。
ちなみにストラディバリウスと並び称されるバルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ、通称グァルネリ・デル・ジェズ(Bartolomeo Giuseppe Guarneri 'del Gesù')の作品は
- グァルネリ・デル・ジェズ $2,333,175、当時の日本円で約1億9千万円( 2012年6月)
わかっていたことですが近い落札価格です。
Bartolomeo Giuseppe Guarneri 'del Gesù' 1743
___
上記の結果から、近い材料を使っていた、あるいは近い材料になったはずの同時代の作品であっても、作った人物によって楽器の価値は大きく違います。(正確には作った人物というよりも楽器そのものの評価にばらつきがあるのですが)
そして、一般的に演奏家にとってはその価値の違いは音の良し悪しの評価と同じ違いで捉えられています。
少し回りくどいですが何が言いたいかと言うと、
良い音が出る楽器の秘密は材料に大きく依存しない
ということです。
わかりきったことですね、すいません。
でも、そのわかりきったことが、あたかもアントニオ・ストラディバリが作った楽器の「秘密」であるように語られてきたわけです。
・
・
・
楽器の価値を決める指標としてオークションでの価格を今まで述べましたが、そもそもオークションの参加者は落札価格を音の良し悪しで決めません。というよりも音の良し悪しは全く考慮に入れないのが現状です。
なぜなら、オークションに出品されている楽器はフィッティング(楽器を演奏できる状態にすること)がされていない楽器も多く、フィッティングされていたとしても、フィッティングの程度の善し悪しや状態によって音は大きく変わる可能性があるからです。
では、オークション参加者は何を拠り所にして価格を決めているのか、それは「人気があって、古くて、作りが良く、保存状態の良い楽器かどうか」つまり「骨董価値が高いか」です。
ストラディバリウスを含め、全世界で製作された過去の楽器は例外なくこの基準によって価値が決められていると言っていいでしょう。
前述で「一般的に演奏家にとってはその価値の違いは音の良し悪しの評価と同じ違いで捉えている」と言いましたが、これはあくまで演奏家などの使う側の主観でしかありません。
そこには感情バイアスや希望的観測といった偏見が多く含まれ、客観的な判断を鈍らせます。
高価な値が付くストラディバリウスは多くの人々から注目され、楽器というその特性上からその音に関して焦点を当てた研究は過去幾度となく繰り返されました。しかし、その多くが不十分だったり、初めからバイアス(偏り、思い込み、かさ上げ)が掛かったものでした。
その中でも2012年に行われた実験は世界に大きな波紋を広げました。
はたしてその研究は「音の評価」という曖昧で主観的なものにどこまで迫ることが出来たのか。
次回はその研究についてお話します。
出典・参考文献
学術論文
大木裕子:イタリア弦楽器工房の歴史―クレモナの黄金時代を中心に―
Tarisio: https://tarisio.com/
THE STRAD / JANUARY 2016:IN FOCUS
THE STRAD / APRIL 2007:IN FOCUS
レッスンの友社 神田侑康著 「ヴァイオリンの見方・選び方」