チェコとドイツの国境近くに、楽器製作で有名なマルクノイキルヒェンという街があります。
マルクノイキルヒェンの位置
この街の楽器製作の歴史は17世紀の三十年戦争にさかのぼります。
三十年戦争(独: Dreißigjähriger Krieg, 英:Thirty Years' War)は、ドイツ(神聖ローマ帝国)を舞台として1618年から1648年にかけて戦われた宗教的・政治的諸戦争の総称。
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三十年戦争は、神聖ローマ帝国におけるプロテスタントとカトリックとの対立、オーストリアとスペインを統治していたハプスブルク家とフランスを統治していたブルボン家との抗争を背景とし,オーストリア領ボヘミア(現在のチェコ西部)のプロテスタント勢力が神聖ローマ帝国 に対して反乱を起したことに端を発しました。
ボヘミア反乱は「白山の戦い」(チェコ語: Bitva na Bílé hoře, 1620年11月8日)で鎮圧され、プロテスタント連合は1621年に解散しました。
「白山の戦い」の様子
白山の戦いでボヘミアはカトリック勢力が支配することになり、そこにいたプロテスタントのグループは宗教的迫害から逃れるために、同じプロテスタント勢力の地であった北ドイツに移住することを余儀なくされました。
この時にクラスリツェ(Kraslice)にいたバイオリン製作家12人がマルクノイキルヒェンに移住しています。
右の印がクラスリツェ、左の印がマルクノイキルヒェン
彼らは1677年にドイツで最初のバイオリン製作者ギルドを結成し、これがマルクノイキルヒェンでバイオリンを作る伝統の始まりとなりました。
はじめはバイオリンだけでしたが、18世紀以降は管楽器などのオーケストラで使用される他の楽器も製作されるようになり、弦楽器製作者ギルドが1777年に設立されて「楽器作りの街」として発展しました。
その発展は「20世紀には世界の楽器と部品の生産の約50%はマルクノイキルヒェンとその周辺地域がシェアを締めていた」と言われるほどでした。
マルクノイキルヒェンは現在でも楽器製作が主要産業ですので、楽器製作にちなんだものは多く残されています。
マルクノイキルヒェン博物館には、バイオリン製作者の銅像と、楽器コレクションがあります。
マルクノイキルヒェン博物館 ©JanBräuer
楽器にまつわる建物も多く残されています。
元楽器メーカーStark家所有の別荘、現在は児童養護施設
元楽器ディーラーCurt Merzの邸宅、現在は西ザクセン応用科学大学Zwickau校の楽器製作専門学校
元楽器店、現在は住宅
他にも、元楽器工場の建物や現在でも稼働している楽器工場も点在しています。
また、「マルクノイキルヘン国際器楽コンクール」も開催されています。
そして、先程のマルクノイキルヒェンの近く、国境付近のチェコ側に「オーストリアのクレモナ」と呼ばれた場所があります。
それがルビ(Luby)という街です。
下の印がルビ、上の2つが前述のクラスリツェとマルクノイキルヒェン
この街は1946年まではSchönbach(シェーンバッハ)と呼ばれており、17世紀後半からバイオリン製作の中心地として栄え、1867年から 1918年の間はオーストリア・ハンガリー帝国に属していました。
そのため、上記の「オーストリアのクレモナ」と呼ばれたわけですが、その後の世界大戦などを経てチェコスロバキアになり、1946年にルビに名前を変更しました。
その直後の1948年にチェコスロバキアはクーデターが起こり、共産主義勢力に参入します。
1949年、ルビにいたドイツ人はチェコスロバキアから追放されます。
ルビの人口の約3分の2はドイツ人で、そのうち約1,600人が楽器メーカーでした。彼ら楽器メーカーのほとんどは当時アメリカの占領下にあった西ドイツのブーベンロイトに移住します。
黒い印がルビ、緑の印がブーベンロイト
この時に移住した者の中には、日本でも比較的有名な「Karl Höfner(カールヘフナー)」もいます。
この時にルビの楽器生産は国有化され、1920年から存在していた「Cremona(クレモナ)」と呼ばれる会社に統合されて、ルビのすべての製造業者と小さな工房はこの会社の一部となりました。
戦争や生産者の減少、他の生産地の発展など苦しい状況がありましたが、そこから少しづつ回復し1950年代後半までに彼らは生産の3分の2を輸出するところまで来ました。
しかし、1962年に国営工場本館の大火事が起こり、後継者不足といった問題もあって、ルビのバイオリン生産が下火になります。
そして1989年、チェコスロバキアはビロード革命を通じて自由民主主義体制に戻りました。
しかしスロバキア国民の独立願望が強まり、1993年に国は平和的にチェコ共和国とスロバキアの独立国に分裂しました。
ルビはこの時にチェコ共和国になります。
民主主義体制になったので、1992年に「Cremona」は民営化され「Strunal」と改名されました。
現在でも、多くの楽器がルビから日本を含め世界各国へ輸出されています。
ルビの楽器製作者ギルドの記念碑
ルビには1873年から2005年まではバイオリン製作学校がありましたが、2005年以降はCheb(ヘプ)という街に移転しています。
1949年にルビからドイツ人の移住を受け入れることを決定したブーベンロイトは、もともと400人ほどしか住民のいない農業中心の寒村でした。
そこへ2000人もの移住者を受け入れ、一躍弦楽器産業の街へと変貌していきます。
1970年代には弦楽器産業は1500人以上の雇用を生み、一大産地として発展しました。
先程お話したカール・ヘフナーを始め、バイオリンからギター製作に転換したKlira、Framusなどのドイツを代表するメーカーが多数あります。
特にギターは有名で、エルビスプレスリー、ビートルズ、ローリングストーンズなどが愛用していたそうです。
ブーベンロイトに建てられたバイオリン製作の銅像:ルビのものと同じようなデザインにしている
バイオリン製作からギター製作まで、ブーベンロイトの楽器製作の歴史を表現した壁画
ブーベンロイトには、楽器の歴史についての小さな博物館や、ヨーロッパで最初の音楽幼稚園があり、現在も存在しています。
このように、ドイツとチェコの国境付近は17世紀から楽器生産が盛んではありましたが、各時代の政治に翻弄され続けながらも、懸命に楽器を作り続けた逞しい製作者たちがいる地域です。
出典・参考文献
Wikipedia