1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発します。

その時、今までお話したドイツやオーストリア、フランスなどのバイオリンの産地では、工場の閉鎖や倒産が相次ぎ、ヨーロッパでのバイオリンの製造が停滞しました。

そのため、世界的にバイオリンの供給量が一気に低迷し、アメリカなどの戦争の影響を受けなかった地域でのバイオリンの需要が高まりました。

その時、世界の各市場の需要に応えたのが、日本の鈴木バイオリン製造でした。

鈴木バイオリン製造の創業は第一次世界大戦の少し前、1887年(明治20年)です。

創設者は鈴木政吉

鈴木政吉(1859 - 1944)

日本でバイオリンに関わる人なら一度は名前を聞いたことがあるほどの偉人です。

彼の生家は名古屋にあり、父の正晴は尾張藩の御手先同心でしたが、下級役人なために家禄だけでは一家を養うことが出来なかったので琴や三味線といった和楽器の内職を行っていました。

明治維新後、鈴木家の家禄がなくなったために和楽器の内職が家業となり、政吉は他の商家への丁稚奉公の後に家業を手伝うようになります。

しかし、時代は欧化主義が広まった「鹿鳴館時代」、和楽器の需要が減り苦境に立たされます。

鹿鳴館 1883年(明治16年)建設

そこへ更に1884年(明治17年)には父・正晴が病死してしまいます。

1887年(明治20年)、政吉は高給が望める音楽教師になることを目指し、愛知県尋常師範学校の音楽教師・恒川鐐之助のもとで唱歌を習い始めました。

入門後、ほどなく政吉は門人仲間の甘利鉄吉が持っていた松永定次郎作の日本製バイオリンを目にします。

もともと和楽器を作っていたこともあり、バイオリンに魅せられた政吉は甘利のバイオリンを夜の間だけ借り受け、寸法を測るなどしてなんとか製作することに成功しました。

バイオリン第一号

その後も何挺か作り、自作のバイオリンが恒川の門人に売れたことで政吉は自信をつけました。

東京音楽学校のお雇い音楽教師ルドルフ・ディットリヒなどの音楽教師数名からの推薦状ももらい、東京銀座の共益商社、大阪の三木佐助とも契約を結び販路を拡大していきます。

1890年(明治23年)私財を投じて住宅を購入し工場へと改修して本格的な生産に入った政吉は、第3回内国勧業博覧会でバイオリン最高位の3等有功賞を得ます。

上野第三回内国勧業 博覧会御幸之図

その後も内外の多くの賞を受賞し、1905年(明治38年)にそれまでに発明した自動でスクロールを彫る機械や響板を削り出す機械を使用して、念願だったバイオリンの大量生産を開始することにしました。

鈴木バイオリン製造の工場:響板を削り出す機械のある作業場

そして、冒頭にお話した第一次世界大戦が勃発、ヨーロッパのバイオリン製造の低迷により鈴木バイオリン製造は大きく生産量を伸ばし、一躍世界の「SUZUKI」へと成長することになります。

1916年(大正5年)には第2工場、1918年(大正7年)には第3工場を建設し、従業員は1000人を超えました。

最盛期の工場の様子

最大で一日にバイオリンが500挺、弓が1000本生産されたと言われ、陰りが見え始めた1920年でも年間生産数が約15万挺ありました。

しかし翌年の1921年(大正10年)、輸出が振るわなくなり従業員数も300人ほどに激減します。

これは、ドイツやフランスのバイオリン生産が復興したのが大きな原因でした。

その後の生産量は年間1万~2万挺程度に落ちましたが、1930年(昭和5年)に株式会社に改組します。ところがその年の昭和恐慌から日本の景気は後退、1932年に倒産してしまいました。

長男梅雄が会社整理を任され、半年後には会社の債務を完済し再起を図ります。

そして、1935年(昭和10年)には愛知県大府市に分工場も新設するほどに回復しました。

1941年(昭和16年)、日本が第二次世界大戦へ参戦、戦火が拡大していく中の1944年(昭和19年)1月に鈴木政吉が亡くなりました。そしてその年の5月にはバイオリン製作の一時廃止を余儀なくされてしまいます。

戦中は岐阜県恵那市に会社は疎開しました。

そして政吉の他の息子たちも独自の道を歩んでいきます。

三男の鎮一は長野県松本市で「才能教育」を創始し、後に海外でも注目を浴びる「スズキ・メソード」を始めました。

六男喜久雄は長野県木曽郡木曽町福島に疎開し、戦後にもう一つのスズキである「鈴木バイオリン楽器(木曽鈴木バイオリン)」を興します。(その後、1985年(昭和60年)に倒産)

戦後、鈴木バイオリン製造は会社の疎開先であった岐阜県恵那市の工場から再開、1947年(昭和22年)には名古屋市中川区に本社工場を移し、高度経済成長の波に乗って更に成長することとなるのです。

その成長の一助となったのが、前述の鎮一が初めた才能教育でもありました。

この様に、日本のバイオリン業界ではスズキは切っても切れないものとなり、世界的にも「SUZUKI」の名は知れ渡っています。

しかし、近年の中国産の隆盛によって、鈴木バイオリン製造は規模の縮小を余儀なくされています。

これは、ヨーロッパから日本へ一大産地が移っていった事と似ていますね。

残念ながら、日本ではバイオリン製作に関する博物館や展示は少なく、鈴木バイオリン製造のあった名古屋には私が知る限りありません。

鈴木バイオリン製造の本社も現在は名古屋に無く、一時分工場のあった愛知県大府市に移転しました。

大府市には「おおぶ文化交流の社」という施設に鈴木政吉像が建立されています。

また、岐阜県恵那市には戦後再開した時の工場である恵那分工場が、1954年(昭和29年)から有限会社恵那楽器(現在は恵那楽器株式会社)として現在もバイオリン製作を行っています。

出典・参考文献

(株)ショパン発行:楽器の辞典 ヴァイオリン

THE STRAD : MAY 2008

すべての投稿
×

もう少しで完了します。

あなたのメールアドレスにメールを送信しました。 読者登録の承認のため、届いたメールのリンクをクリックください。

OK該当機能はStrikinglyより提供しています。